なぜ、この人と話をすると楽になるのか 吉田尚記

なぜ、この人と話をすると楽になるのか

 

「コミュニケーションというのは、実はコミュニケーションが成立すること自体が目的であって、伝達される情報は二の次である」

 

コミュニケーションの本はたくさんあります。

しかし、清々しいまでに振り切ったこの論調は、なかなかありません。

 

つまり、コミュニケーションというものは、話が続いていくことが目的で、話に詰まって沈黙が訪れ、気まずくなったら、「負け」という一種のゲームである、というのです。

 

ちょうど、こう言われて、ビルの屋上で昼休み、サラリーマンとOLが輪になって、バレーボールをトスしながら回し合いをするのを、思い浮かべてしまいました。思いっきり昭和なイメージですみません。

 

しかし、当たらずとも遠からずの、イメージだと思います。

このゲームのルールは「飛んできたボールをうまく拾い、相手にうまくパスを送る」こと、それしかありません。

 

「ボールをうまく拾う」ためには、相手の言っていることをよく聞いていなければなりません。そして、「いいパスを出す」ためには、次に相手に話してほしい事、つまり「いい質問」を考えないといけません。

 

普段の私。それは、「自分のことを話したがる私」「相手の話を自分の話題のフィールドにもっていきたくなる私」「相手の発言を否定し、自分の意見を主張したくなる私」が頻繁に出現します。恥ずかしい話ですが、自己顕示欲を満たしたいのです。

 

しかしながら、このゲーム的発想に立ってみると、自己顕示欲を満たす暇がなくなります。そうです、それがいいのです。自分以外のところでうまくボールが回っていたら満足すればいいのです。

 

筆者の言葉を借りると、「コミュニケーションというこのゲームの参加者はすべて味方です。」「そして敵は『気まずさ』なのです。」

なるほどなるほど!

 

そして、筆者は「エレベーターの中でのコミュニケーションができたら一人前」と言います。エレベーターで偶然乗り合わせた人、ゲームは突然始まります。しかも制限時間20秒とか。しかもしかも、相手は普段そんなに話しをしない人かもしれないのです!

 

ちょっとシミュレーションしてみます!

「今朝は寒かったですね。」「ほんとですね」「厚めのコートですね、今年初めて出したのですか?」(無難なところから入るパターン)

「そういえば週末はゴルフじゃなかったのですか?」「そうなんです」「良く焼けましたね、頻繁になさるのですか?」(ちょっと相手の事を知っているパターン)

 

できるだけ、「相手に関心を持っておくこと」が、コミュニケーションの基本だと、改めて感じた次第です!