ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

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哲学カフェに参加しました ~哲学カフェinとよなか国際交流センター(カフェフィロ) (2/9)

「哲学カフェ」というものに興味があって最近ちょくちょく行ってます。

 

昨日は「カフェフィロ」さん主催「哲学カフェinとよなか国際交流センター」にいってきました。

 

日時:2月9日(土) 10:30~12:30

場所:とよなか国際交流センター

参加者:15名(うち進行役1名)

男性7名、女性8名

年齢は20代~60代ぐらいまで、さまざま

主催:カフェフィロ

http://cafephilo.jp/

 テーマ:「立ち止まるのは、なんで?」

 

まず、進行役からいくつかのルール説明があります。

・一人ずつ話し、その人が話しているときは皆しっかり聞く。

・発言したいときは挙手し、進行役が当ててから話す。

・意見が食い違うときでも、その人の人格を否定するような発言はしない。

・全員が理解できるように話すよう努力し、出来るだけ自分の経験に即して話す。(難しい言葉・抽象的な言葉で話さない)。

・結論を出すのが目標ではない。

 

今回のテーマは「立ち止まるのは、なんで?」でした。

 

私達は人生で、「立ち止まる」経験はよくあります。

でも「立ち止まる」って、どういう行為なのでしょうか。

立ち止まって、皆何をするのでしょうか。

 

まず、口火を切ったのは、「3年に1度ぐらい立ち止まって考える」という方。

人生の節目で、軌道修正のため「このままでいいのか?」とじっくり考える時間を作る。

「立ち止まる」=「このままでいいのか?」は同感でした。

 

日常に追われ、「立ち止まる」チャンスを逸していると、今やっていることが「自分のやりたいこと」もしくは、「やりたいことにつながっている」かどうかを確認することが出来ないし、変えるための行動を起こす事もできません。

 

すると、「私は毎日立ち止まっていますよ」という発言が出てきました。

なるほど。今日一日を振り返って、というのも「立ち止まる」ですね。

 

後のほうで、「立ち止まる」には、

・長期的な、人生の軌道修正について考える「立ち止まる」と、

・短期的な「日々の改善」について考える「立ち止まる」があるよね。

というふうに分析された方がいました。

 

哲学カフェでことばを「問い直す」って、こういう事なのか、と理解した瞬間でした。

 

問い直すことによって、今後「立ち止まる」ということに遭遇した際、今までと感じ方が全然違ってくると思うんです。

 

最近活動休止を発表したアイドルグループを例に出し、

「自分らしく生きたい」と、メンバー各自が真剣に考えた結果、ファンの期待に反するかのような選択が出来た事も、「立ち止まった」結果だよね。という話題にもなりました。

腑に落ちた例です。

 

「自分で選択する」ということは、しばしば葛藤をともないます。

しかし「自分の人生における選択を、『周囲の価値観に流されがち』であったところから、もう少し『自分側に判断軸を引き寄せる』」ことが、後悔しない為にも必要、というような話になり、

これこそ「立ち止まって」みないとできないな、と強く感じました。

 

関連して、

「立ち止まる」というのはネガティブなのか?

という問いかけもありました。

 

おおむね結果を見ればポジティブなものだろう、と思ったのですが、

ここでまた違った意見が。

 

「私は過去、突っ走りすぎて、体力・気力が疲弊して、立ち止まった。自分にブレーキをかけざるを得なかった。」という「立ち止まり」の経験談が。

 

過去を振り返ると、「あの時、立ち止まっていてやっぱり良かった」となるのですが、

「再び歩き出す前提としての『立ち止まり』のはずなのに、その時は出口がないのかと思うぐらい辛かった」と。

時間によって見方が変化するのも、何とも面白い見解です。

 

「立ち止まり」は「リスク管理」だという分析もありました。

こちらも「なるほど」です。

 

仕事での「立ち止まり」は先々に潜むリスクを回避します。

では、人生での「立ち止まり」は何の「リスク」に備えるの?

と、話が広がって楽しかったです。

 

この日は議論の軸がいくつか、しっかりしたものがあり、かつ難解な部分も少なく、「全員の共同作業で場を作っていけた」感じがしました。

 

15名の方、様々な経験談、個性あふれる発言があり、白熱した2時間となりました。

 

この日感じた哲学カフェの「醍醐味」を3つ。

・初対面の方と、こんな深い話題について、じっくり意見を聴く機会はほとんどありません。他者の多様な価値観を知ることで、自らが柔軟になれます。

 

・他者の表現の仕方(話し方、論理立て)を学ぶことができます。自分はまだまだだなあ、と感じるばかりです。→でも、上手くなくても、しゃべっていいのも哲学カフェです。

 

・自分の意見を、こんなに真剣に聴いてもらえる場もほとんどありません。それはどこか受け入れられたような、いい気持ちのするものです。

 

以上です!