ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

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「八日目の蝉」 角田光代 (ネタバレ有り)

八日目の蝉 (中公文庫)

<ハマる人とそうでない人に分かれる名作>

 

内容(Amazonより)

逃げて、逃げて、逃げのびたら、私はあなたの母になれるだろうか…。東京から名古屋へ、女たちにかくまわれながら、小豆島へ。偽りの母子の先が見えない逃亡生活、そしてその後のふたりに光はきざすのか。心ゆさぶるラストまで息もつがせぬ傑作長編。第二回中央公論文芸賞受賞作。

 

どうして、普通にできないの?

作中では、「普通」という言葉が何度も出てきます。

 

「普通であれば経験させられた事を何一つしてやれない」

恵里菜(薫)は誘拐されていることによって、母子手帳・予防接種・幼稚園など、「普通」なら当たり前にやっていることをさせてやれない。

将来の見通しも絶望的で、逃避行は早晩行き詰まることは確定していました。

 

「どうして普通の『親子』ができないのだろう」

恵里菜:「あの誘拐された子供」というレッテルを貼られ、どこに行っても噂から逃れることは出来ず、引っ越しを繰り返す。

母親:娘を誘拐されたという、罪悪感。うまく子育てができない。悪い噂も重なり、精神的に参ってしまう。

父親:騒動の大元は自分の不倫にあり、それが週刊誌により公になって、罪を生涯背負って生きなければならない。

 

登場人物それぞれ全てに、それぞれの事情があり、「普通」に過ごすことができません。

「普通でない」というのは、かくも生きづらいものか、ということを実感させられます。

 

ハマる人と、そうでない人に分かれると思う

この物語は「母性」がテーマでもあります。

希和子の「一日でも長く、この日が続けられたら」という言葉です。

この気持ちを少しでも理解できる人は(男性であっても)ハマると思います。

 

角田光代さんは、「坂の途中の家」「対岸の彼女」に続き3作目ですが、

細かな心情描写においては、他の追随を許さない凄みがあると思います。

 

共感しすぎて、ある意味「苦行では?」と思える時もあるぐらいです!

 

では、また。