「哲学カフェ」というものに興味があって、「園田哲学bar」に参加してきました。これで4度目の参加となります。
日時:4月5日(金) 19:00~21:00
場所:園田地区会館
参加者:17名 (多分それぐらい。うち進行役1名)
「予約不要」ですので、仕事終わりに寄れます。
市民ホールの1部屋(20人ぐらいは集まれる)で、茶色の長机を四角に並べれ、パイプ椅子を並べて適当に座ります。
19時になったらスタートですが、仕事帰りの方も多く、途中から入室される方も多いです。
持ち寄りbar(アルコール可)ということで、缶ビール・チューハイなどを持ってこられている方も多いです。
まず、進行役が決めごとについて説明します。
①ここは、自分の意見を通す場ではありません。
→結論は出しません。時間になったら終わりです。モヤモヤとしたものを持って帰れることも哲学カフェの楽しさのひとつです。
②他人の意見をしっかり聞きましょう。
→他の人が発言しているときは、黙って最後まで聞き、発言したいときは挙手をしましょう。
→他人の人格を否定するような発言は控えましょう。
③他人に伝わるように努力しましょう。
→抽象的な物言いでなく、できるだけ「自分の経験」について話しましょう。
本日のお題は「子供」。
これはあらかじめ決められていて、ここでは会の最後に次回のテーマを決めています。
◆「子供」は「大人」との対比で語られる
この日、口火を切ったのは、
・「子供」は感情、「大人」は理性。
という発言でした。
これは、ほとんどの人が言葉の意味として持っていると思います。
精神的に「大人っぽい」「子供っぽい」という使われ方はよくしますよね。
・自己主張が強い(子供) ←→ 相手の立場に立って考える(大人)
・もっと「大人」になりなさい、という説教
◆「子供っぽい」はプラスとマイナスがある
これも、おおむね共通認識としてありますよね。
上記のように「精神的に未熟である」状態がマイナスとして「子ども」といわれることも多いですが、
・「子供っぽいしぐさが好き」
・「子供のような心を持った人」
など、プラスの面で「子供」を使う場合も多いです。
いつもおもしろい経験談をされる方より、
「警備員が輪ゴムであやとりをしていた」
「大人が横断歩道の白いところを踏まずに跳んで渡っている」
というような例がでてきて、会場大ウケ。
◆「純粋って?」
「子供」=「純粋な心」というイメージが広くあります。
でも、子供って「純粋」じゃないよね?
という意見より、「純粋」に対する議論が20分ほど白熱しました。
・子供は小さい頃から既に人を選んだ言動をしているものだ
・そもそも「子供は純粋」は大人のイメージに過ぎない
っていう感じになってきました。
私としては、「子供は純粋なもの」というイメージが強く、実際そう思っているので、多くの方がそう思っている事には意外でしたね。
◆「子供」の「供」って?
これは知らなかった考え方です。
・「子供」の「供」は、「供え物」という概念があり、差別にあたる、として、「子供」を「子ども」とひらがな表記とする風潮がある。
・しかし、2013年に文科省が「子供」は単なる熟語で「差別的意味はない」とし、「子ども」というかな交ぜを使わないようにしている。
しかしながら、子供の地位という面では、
児童労働など、大人の都合の犠牲になっている例もあり、その辺の議論も少しでてきたことは良かったと思います。
・「子供」は次世代を担う存在であり、それでいて弱者である。いかなる理由があっても、守らなければならない存在である。
◆後半に続く
すみません、白熱した議論を書ききれないので、続きは次回に書きます。
後半の主要テーマは下記。
・子供と大人の境界線とは?
・第一の意味である「親と子供」の関係について
では、また!