<自分で生き方を選ぶということ>
こんばんは。ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。
今日は、どこかで見たことがあると思う、この方の本です。
<内容紹介 amazonより>
必ずしもお金が仲介しなくたって、支え合うことさえできればそこそこに生きていくことができるはずだ。
しかし会社で働いていると、そんなことは忘れてしまう。毎月給料が振り込まれることに慣れてしまうと、知らず知らずのうちに、まずお金を稼がなければ何も始められないかのように思い込み始める。
そして、高給をもらっている人間がエラいかのようにも思い始める。 だから、会社で働いていると、どうしても「もっと給料よこせ」という感覚になる。これは、どんな高給をもらっていても同じである。(中略)
しかし私は、もうその争いに意味を感じなくなってしまった」(プロローグより)
そういう著者が選択したのは、会社を辞め、電気代200円で暮らす清貧生活だった。しかし、著者はかつてないほど希望に満ちていると書く。日々がなにより新しい。それは「お金」や「会社」から自由になったことで得たものだ。会社とは、お金とは、人生とはなにかを問う。笑って泣けて考えさせられて最後に元気が出る本!
◆幸せは「無いこと」を意識した先にある
新聞社で高給をもらい、使えるだけ使っていた貪欲な20~30代。
しかし彼女にそんな生活が一転するのが、40歳手前で高松に転勤になったこと。
近くにコンビニも、スーパーもない。
唯一野菜が買える「直売所」で気づきます。
野菜には「旬」があって、「野菜はいつでも買えるものではない」という、ごく当たり前のことです。
これ、意外と私達も気づいてないことですよね。
で、どうなったかというと、
「今しか食べられないから、ありがたく食べなきゃ」となったのです。
「無くなること」で、また来年の旬を待ち望むようになったのです。
大阪では「あって当たり前」のものが、高松では色んなものが「いつもあるわけではなく」なったことで、それらが文字通り「有難く」なったわけです。
◆幸せは「無いこと」を意識した先にある
彼女は気付くのです。
お金を出して求め続けるだけでは幸せは訪れない。
「無い」ことを意識して初めて豊かさに気づけるのではないか。
彼女は最初「お遍路さん」がどうして、あのような辛い旅路の中であのような笑顔になれるのか、理解できませんでしたが、高松の生活を経て、
すべてを手放して身一つで歩いてこそ、わかる心境に、気づくのです。
停電して初めてわかる電気の大切さ。
入院して初めてわかる親のありがたさ。
色々、失って分かる有難さってありますよね。
そして、彼女は次々とモノを捨てていきます。
自分を縛っているモノを無くしていくとで、幸福感が増すことに気づいた彼女は、モノを捨てていきます。
有名な、エアコンも冷蔵庫もないカセットコンロ1つだけの部屋が出来上がるのです。
◆「お金」と「仕事」の分離
彼女は、高松でお金が必要のない生活を続けることで、お金が減らなくなります。
すると、あんなに欲しかったがお金が欲しくなくなります。
そこで、心境が変化します。
今まで「お金」のために「仕事」をしていた彼女が、
「お金」のために「仕事」しなくていいと思うようになります。
今仕事を失っても何とでもなるわ、もし何だったらクビにしてもらっても構いませんよ、といった心境でしょうか。
そうすると、今まで受け身でやっていたつまらない仕事を置いといて、自分にやりがいのある、積極的に課題を見つけ、「自分プロジェクト」を作り、真剣に前向きに仕事に取り組むようになりました。
◆自分で生き方を選択するということ
彼女は会社の依存度を下げていき、ついに50歳にして新聞社を退社しました。
ミニマリストになった彼女は、時々の講演や出版で、充分暮らしていけます。
一方でこの私。
「会社を辞めてやりたい事を始める」はおろか、「会社の依存度を下げること」すら、できないし、やろうと思う段階にもありません。
しかしながら、彼女の生き方の中に、これからの時代のヒントが確実にあると思います。
・「ひとつの仕事」にこだわらなくていい・・副業の時代
・お金が無くても、多分生きていける・・シェアリングの時代
・お金ではなく、やりがい・・モノが豊かなことが重要ではなくなった時代
40代という年齢もポイントかもしれません。
自分は、どのくらいできるのか、できないか、をある程度理解しているからです。
自分に向いてない努力はしなくていい、世間の目や他人との比較もあまり気にならなくなります。
これからの残りの半分の人生を幸福に楽しく生きるために、どういう行動をとるか。
考えるだけで楽しいですよね。
では、また!