ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

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哲学カフェに参加しました ~神戸哲学カフェ「どうすれば『政府』を信用できるのか」(後編)

<もしも行政機関が無かったら?>

 

こんばんは。ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。

 

昨日に引き続き、「神戸哲学カフェ」さんへの参加記録、後半戦をお送りいたします。

 

前半まとめはこちら。↓ ↓↓

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

 

◆前半のまとめ

 

・哲学カフェのお題が「政府」だったらどうなるのか?は私も未体験。

・「信用」できない理由①、「うそをつく」など人間としての不誠実。

・「信用」できない理由②、弱者を切り捨てるような政策。

・政府は「信用できない」ぐらいが普通?

 

◆哲学カフェと政治論議

 後半戦に入る際、このような提案がありました。

「このまま続けますか?それとも、このテーマはやめますか?」

 

確かに前半にも、

「与党は〇〇のいいなり」「辺野古移設」「森友問題」「年金の問題」など、政策に関する言及がいくつかありました。

 

哲学カフェとしての問いを深める事例として出てくるのはいいのですが、そのような各論内容に関して賛成反対の議論が始まることもありました。

 

そういうふうに議論に飛ぶと、「いったい問いはなんだったっけ?」という場面が何度か訪れ、哲学カフェとしてどうなんだ、と私も考えたりしていたところでした。

 

「テーマを変えたい」という意見もありましたが、「どうすれば信用できるのか?」の部分があまり話されていなかったので、そこを進めてみることになりました。

 

◆どのような政府だったら信用できる?

進行役から再度提案がありました。

 

「どうすれば」は「how to」であるから、どうしても政策的な事を考えてしまいがち、だったら、「どのような政府だったら(what)」で考えてみませんか。

 

ここから出てきたのが、「公共サービスの選択肢」という考え方。

 

公共サービスが同じ都市に複数あって、警察とか水道とかが、携帯電話会社のように、個々が好みで選べれば不満も少ないのでは。

 

ということです。

 

確かに、人間はどこに住もうが自由で、住む場所も好きなように選べるはずです。

神戸が嫌だったら沖縄に住んでもいい、日本がいやだったら外国に住めばいい。

 

でも大部分の人は一度住み着いてしまうと、ちょっとしたことで引っ越ししようとは思いません。知り合いもいなくなるし、だいいち面倒ですから。

 

もし選択になると、公共サービスに競争が生まれます。コストが安くなっていいのでは?という気もします。

 

いや、待てよ、そうすると労働者の賃金は下がって、良くないのでは?

効率運営の追及が、弱者の切り捨てにつながりはしないか?

 

極論、行政機関が無かったらどうなるか?

 

内容には無理があるのが多いのですが、

哲学カフェで、思考実験が展開されたことが面白かったです。

 

◆そして、終わり。

既定の3時間がきました。哲学カフェは時間が来たら、唐突に終わります。

 

後半戦でも、政策(各論)に関する議論は何度か出てきて、最後までかみ合わないところが多かった哲学カフェだったな~というのが率直な感想です。

 

私としては、こんな貴重な日を体験できたこと、経験値を積めたことが嬉しいので、今日に感謝!です。ありがとうございました。

 

<この日の印象>

・「カフェP/S」さん、知的で、オシャレで、私のすごく好きな場所でした。

・「政治」と「哲学カフェ」の組み合わせは、進行が難しいと思いました。

・色んな進行役のスタイルがありますね、勉強になりました。

 

日曜日は読書会と被ることが多いので、なかなか参加できませんが、是非再挑戦したいです。

 

では、また!