ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

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哲学カフェ カフェフィロ (彩ふ読書会協力開催) ~大阪堂島 「わかる」後編

こんばんは。ちくわです。 

今日は昨日の続き、カフェフィロ「わかる」について、続きをレポートしたいと思います。

前半部分はこちらです。

 

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

◆前半まとめ

「わかる」と、「わからない」について

・「わからない」状態は、不安やストレスを感じる。

・ついつい「わかったふり」をしてしまう。

・「わからない」を認識することは、「わかる」ことを増やすために大切なこと。

・「わからない」ことは、そんなに気にするほどのことではない。

 

 

「わかる」と「できる」について

・「わかる」を具体的な行動に落とし込めることが「できる」。

・「わかる」を一歩進めたかたちが「できる」。

・「わかる」と「できる」は別物として考えた方がいい。

 

大きく分けて、上記の2つぐらいかなあ、と思います。

 

◆「知っている」と「わかる」

ここで、進行役の方から、提案がありました。

 

「わかる」と「できる」でかなり白熱し時間を使いましたので、一旦離れて、

「知っている」から「わかる」の変化について、考えてみませんか。

 

「わかる」ようになる瞬間は、どのような状態なのか、そこも気になりますよね。

 

後半戦の口火を切っていただいたのは、

「知っている」=「知識」、「わかる」=「知識の組み合わせ」

という考え方です。

 

やや抽象的ですが、共感できる表現だと思いました。

「知識」や「断片的な情報」は「知っている」状態。

 

それを組み合わせて「考えた」結果、「自分のもの」になった状態、それが「わかる」なのでは、という解釈をしました。

 

「抽象的な概念を自分の側に引き寄せることができた状態」と言い換えてくれた方がいらっしゃいました。

 

これもちょっと難しい表現ですが、私の心に残りましたねー。

 

◆「自分のこと」と「他人のこと」

この問いに乗っかって、私が出した意見です。

「親の気持ちは、実際なってみないとわからない」 ということです。

自分でない他人を理解するのは、どうやっても限界があります。

 

当事者になってはじめてその人の苦労を知ることは今でも多いです。

それが、「ああこういうことだったのか」と「わかる」瞬間だと思います。

 

◆90分が過ぎて、、

今回は途中休憩はさまずに、90分やって(前置き除いたら75分ぐらい?)、残りの時間は、ひとりひとり「問い」を立ててみよう、という試みの提案が進行役よりありました。

 

何をやったかというと、今回の「わかる」というお題に対し、各自「問い」を発表してみた、ということです。

 

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 質問調(5W1Hのようなもの)にします。それを進行役が書いていき、机に並べていきました。

 

並べてみてわかる(!)ことですが、「わかる」は抽象度が高く結構問いが多岐に広がっていきますね。

 

終わってから、これを進行役が提案した意味を自分なりに考えてみました。

・意見を言うだけでなく「問い」を立て続けることが楽しい。

・問いは広がることが多く、宿題を持って帰れることも楽しい。

・今日の対話からの感想を、自分なりに述べよう。

 

「哲学カフェ」は自由な対話の場であるので、普段とは違う体験を、自分のこととして「わかって」欲しかったのではないか、と思いました。

 

また、経験値を獲得したようで、この場に感謝したいです。

全ての方に、ありがとうございました。

 

次は、もう一度、自分で進行役をする会を開いてみようかなと思いました!

 

では、また!