<アンドロイドと電気羊は一度も絡みません>
こんばんは。ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。
先日、少し触れさせていただきましたが、今日、聴き終わりました!
面白かったです!
audibleなので、内容を詳細に振り返ることはできませんが、簡単な感想を記します。
<内容紹介 amazonnより>
長く続いた戦争のため、放射能灰に汚染され廃墟と化した地球。生き残ったものの中には異星に安住の地を求めるものも多い。そのため異星での植民計画が重要視されるが、過酷で危険を伴う労働は、もっぱらアンドロイドを用いて行われている。また、多くの生物が絶滅し稀少なため、生物を所有することが一種のステータスとなっている。そんななか、火星で植民奴隷として使われていた8人のアンドロイドが逃亡し、地球に逃げ込むという事件が発生。人工の電気羊しか飼えず、本物の動物を手に入れたいと願っているリックは、多額の懸賞金のため「アンドロイド狩り」の仕事を引き受けるのだが…。 映画『ブレードランナー』の原作として知られている、フィリップ・K・ディック1968年発表の傑作長編。著者は1982年、53歳で亡くなった。皮肉にもこの年に公開されたこの映画作品により、彼は一躍スターダムにのしあがることとなった。
◆アンドロイドVS人間
このお話の主人公は、「アンドロイドのハンター」です。
地球に侵入してきたアンドロイドをやっつけて賞金を稼ぐのが仕事なのです。
※何故、アンドロイドは侵入し、退治するのかは、上記紹介文を参照ください。
アンドロイドは本来人間を助けるもの。しかし人間を出し抜くほど、知性が高いものとして存在します。
「人間らしい感情」がやや欠如する部分はあるとしても、それはほぼ人間といっていいのではないでしょうか。
むしろ、知性は高いが共感性に乏しい性格の人間は、こんな感じではとすら思います。
◆電気動物と普通の動物
核戦争後の世界では、動物が希少となり、動物を飼うことがステータスの象徴とされています。
お金が無くて動物を飼えない人は、電気動物(ロボット)を飼うことになります。
しかしこちらも、本人にしかわからないほど非常に精巧にできていて、むしろ、本物の動物との違いは、持っている人の気持ちだけ、という印象を受けました。
しかも電気動物は寿命があり、機械の損耗による入替が難しいため、本物の動物より短いのです。
本物の動物だって、おおざっぱに言うと、ある物質によってできていて、意識は電気信号のやり取りとその蓄積により形成されるものですよね。
精巧に造られた動物と、本物の動物。そこに違いはほとんどないのでは?
そんなメッセージを強く感じます。
◆再びアンドロイドVS人間
再び人間に話を戻しますが、アンドロイドと人間の線引きにおいて、「empathy(エンパシー)」というキーワードを筆者はたびたび用いています。
エンパシーとは、共感・同情などと訳されますよね。
主人公が巧みに人間に紛れているアンドロイドを見分けるために、この「エンパシー能力」を見抜くのです。
ただ合理的な行動をプログラムされているアンドロイドには、一見非合理的な「エンパシー」が理解できません。
ここにでてくる宗教や集団心理というものは、このような「エンパシー」を知ってか知らずか、うまく活用されていると思います。
◆50年以上経って
このお話は、書かれてから50年以上たっているにもかかわらず、私にとってはすごく新鮮で、心に刺さるものがあったと思います。
私は、こんな印象でした。
あまり合理主義を突き詰めると、人間として面白くなくて、むしろそれはロボットと変わりない。
たとえ非効率で無意味であっても、コミュニケーションなくては人間としての幸福は無いに等しい。
物語自体は終始陰鬱なトーンで進むのですが、最後には温かい気持ちにさせられる、自分にとってどこか不思議なお話でした。
では、また!