<自分に対する先入観もあるよね>
こんばんは。ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。
私ちくわがサポーターとして活動させていただいている、「彩ふ読書会」のメンバーを集めて、「哲学カフェ」を開催しました。
今日は昨日の続きを書いていきます。昨日のはこちら。
★今回のテーマは
「先入観や思い込みを抱いてしまうのはどうして?」でした。
◆昨日のポイント
・「先入観」は、見た目や噂(事前情報)から、自分が持るカテゴリー分けによって、他人を認識するものである。
・なので、その人が持つ本当のパーソナリティとの間にはギャップが生じる。
・「ギャップ萌え」は自分の持った先入観より、実際に会って話してみた印象が異なった時に、好感を持つこと。
・逆に先入観が良くて、実際会った印象のほうが悪いと、「ギャップ萎え(笑)」となる。
・「先入観」は、情報が少なくわかっていない部分を自分の想像で埋めている状態。
・「先入観」は、コミュニケーションにおいて必要な存在。相手の全てを知ることは出来ないし、またそれを全て確認するわけにもいかない。
まずは、対人コミュニケーション上の「先入観」について話が進みます。
「先入観」というのは、おもに「誤解」を招く原因としてイメージされていますが、コミュニケーション上では程度の差こそあれ必ず存在するもののようです。
薄い関係では先入観は多めに、親密度が増すにつれて段々小さくなっていくようです。
◆ものごとについての「先入観」
角度が替わって、このような発言が出てきました。
・権威のある人の発言はついつい疑わずに信じてしまう。
・先入観は教育や経験から、年月をかけて蓄積していく価値観。
・当たり前と思っている「ルール」も、ところ変われば通じない。これも「先入観」?
このように、人ではなく物事についての「先入観」というのもあります。
ネギを首に巻いて風邪が治ったことのある人は、他人にもこの方法を推薦するし、あるアイドルが「○○は美容によくないから食べるのやめる」といったらファンはそれ以降食べないとかいうことも、先入観なのかもしれません。
これって、価値観のよりどころを求めているようなものですね。
メンバーから「先入観は安心したい気持ち」という発言が出てきたのもうなずけます。
◆「自分」への先入観
こんな発言がありました。
・「あなたは○○なところがあるね。」と、自分では思ってもいなかったパーソナリティを指摘されたことがある。
あ、これって、他人からの指摘(カテゴライズ)に対して、自分が持っている「自分に対して」の「先入観」とのギャップを指していますよね。
案外他人の方が自分のことを分かっていたりする、っていうのはよくありますよね。
私もそうです、そうなんです。自分への先入観ってのは案外強いと思います。「私は絵が下手だから、片付けができないから、引っ込み思案だから、センスないから、、、」などと自分をカテゴライズしてしまうことはよくあります。
子供の頃、親や先生・友達に褒められてずっと自分はこれが得意だ、と思えていることもあれば、自分のこんなところがダメだと思い続けていることもあります。
時が経って自分が変わっていても、相変わらず昔言われたことを引きずっていることってあります。
・それって、「劣等感」かもしれませんね。
そんな発言があり、あーなるほど、「自分への先入観」の中にはそんな感情があるのだという妙な納得感を覚えたのでした。
◆「先入観」に固執する人と、しない人の差は?
・「先入観」とのギャップがあっても、それを受け入れ難い人と、上手く付き合える人がいるのでは?
という発言がありました。
これは面白いと思い、もうちょっと掘り下げてほしい、提案しました。
ちょうど休憩を終えて、後半戦に入ったところです。
書き疲れてきたので、この模様は、日を改めて。
では、また!