<息をしていることも「ありがとう」>
こんばんは。ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
今日は、引き続きこの本から。
<内容紹介 amazonより>
命を大切にする、善悪を判断するといったことを教える道徳教育の重要性が再認識されている。しかし、理屈を並べるだけではなかなか頭に入っていかない、行動にも結びつかないのが道徳教育の難しさでもある。
本書は小学校教師歴三十二年、学級崩壊に瀕したクラスを立て直すといった経験もしてきた著者が行ってきた、子供たちの心に「伝わる」「残る」実践的道徳教育の話だ。
例えば小さなハートが徐々に大きくなっていく絵を描く。「いろんなものに関心を持って好きなものが増えていくことが心の成長だ。一年後にはハートが大きくなっているようにしよう」と話す。「自信」「勇気」「友情」など三十一の項目にわたって、時に絵を描き、紙芝居にし、標語を作って、子供たちに伝え、行動へと結びつける。
教育現場で実践してきた話だが、家庭でも、企業でも、さらには自分自身でも実践できるヒントに満ちている。
この本、子ども向けの道徳教育の本なのですが、とにかく、テーマ毎に子供たちの心をつかむ独特のフレーズで構成されています。
それを筆者は「携帯フレーズ」と呼び、とにかくキャッチーで覚えやすく、ときおり尋ねても思い出せるものにしています。
大切な事だからこそ、決して一方通行にしない。
そこには長年培った教師としての伝える努力・工夫といったものが詰まっているのです。
大人の私が読んでも心に刺さるフレーズ。私のような子供を持つ者には尚更ですね。
その中から、いくつか紹介していきたいのですが、今日は「集中」の章から。
◆「ありがとう」の反対語は?
「暗い」の反対語は?
「明るい」
「速い」の反対語は「遅い」、じゃ、「ありがとう」の反対語は?
「え?」
「死ね?」「馬鹿野郎?」「うざい?」・・・などなどが出た。
答えは、「当たり前」です。
「え?」
「ありがとう」の語源は、「有り難い」。つまり、「ある」ということが「難しい」ということなんだ。
「あるということがなかなかないこと」なのに、ある。それは、幸せなことなんだ「ああ、ありがとう」と。
子供たちとのやりとりなんですが、このエピソードに全てが詰まっていると思います。
ひょっとしたら既にご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、私はこれを読んで、一生この言葉を大切にしようと、本気で思いました。
◆「ありがとう」と「当たり前」
私が「ありがとう」と感謝する場面を振り返ってみます。
・弁当を作ってもらった時
・何かを持ってきてもらった時
・頼みごとをやってもらった時
・自分がやることを人にやってもらった時
などなど。だいたい「人に世話になった時」に使いますよね。
でも例えば、子どもが親に対して、
「洗濯をしてくれてありがとう」とか、「いつも買い物に行ってくれてありがとう」とは言わないですよね。
それは日常であって、当たり前だからです。
でも、子どもがやがて進学や就職をして独り暮らしをするようになって、料理や洗濯・買い物の大変さを経験した時、初めて親のありがたみを知ることになるのです。
少なくとも私はそうでした。
そう、結局日常的なことは、「思い直して」みないと、それが当り前じゃないことに気づかないのですね。
大人であっても、普段忙しく立ち働いていると、周囲があって自分がある、ということを忘れてしまいがちです。
◆日常から「有り難い」に
私達は、朝起きます。
すると、今日やらなければならないことに思いを馳せます。
休日ならまだしも、平日においては、今日中にあれとあれをやらなきゃいけない、今日○○さんと会うの嫌だなあ、とか、朝から憂鬱な気分になることもしばしばです。
では、それを、「有り難い」気持ちにするにはどうすればいいでしょうか?
それは、「視点を変える」ことだと思います。
会社に行くのが嫌なときは、どんどん視点を高く、俯瞰していきます。
今日も会社が存在してて、嫌なことが多少あっても、働いて帰ってきたら給料がもらえる。
と考えるだけでも違ってきませんか?
もっと視点を上げていきます。
仮にもし病気になって、即入院となったら、プレゼンがうまくいくかの心配は関係ありません。
同じように年老いて寝たきりになったら、働きに行くことができません。
もし1週間後に隕石がぶつかってくるとしたら、同僚の愚痴を言うことも無いでしょう。
もし自分が江戸時代で農民をしていたら、ビールが冷えてないことにイライラすることもないでしょう。
そうやって考えていったら、朝起きられたこと、窓から日が差していること、朝ごはんを食べられること、お湯で顔を洗えること、洗い立てのシャツを着ること、電車が安全に到着すること、道を歩いてても物を盗られたり殺されたりしないこと、 あらゆることが「有り難い」となるはずなんです。
息をしていることすら有り難いと思えるはずです。
どうもやる気が出ない朝、「視点を変えてみる。」 やってみませんか?
では、また!