ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

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「暇と退屈の倫理学」 國分功一郎

<好きなことをしているんだぞ!とアピールしなければならない「余暇」って?>

 

こんばんは。ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。

 

今月は仕事が多くなっていて、ブログの更新も滞りがち。

 

ブログも休み休みになりますが、少しずつ書いていきます。

 

今日はコチラの本から。

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

内容(「BOOK」データベースより)

旧版『暇と退屈の倫理学』は、その主題に関わる基本的な問いを手つかずのままに残している。なぜ人は退屈するのか?―これがその問いに他ならない。増補新版では、人が退屈する事実とその現象を考究した旧稿から一歩進め、退屈そのものの発生根拠や存在理由を追究する。新版に寄せた渾身の論考「傷と運命」(13,000字)を付す。

 

この本は、「暇」と「退屈」について、過去の哲学者の考えを紐解き、それをベースに現代人における新たな「退屈」の正体を暴き、また提言も発するという、壮大な哲学書となっています。

これほどまでに「暇」と「退屈」について分析している本は世界に類を見ないですね!

 

◆「暇」と「退屈」について

そもそも「暇」と「退屈」というのは、筆者の中では明確に区別されています。

 

「暇」:物理的な「空いた時間」のこと。

「退屈」:することがない、という満たされない「気持ち」のこと。

と、実に明快です。

 

そうなると、次の分析として、

①「暇」が無くて、「退屈」しない人。

②「暇」を持っていても、「退屈」していない人。

③「暇」を持っていて、「退屈」している人。

 

こういった分類ができてきます。

 

まず、①について。

これは割とイメージしやすいです。

「朝から晩まで働き通しで、余暇がほとんどない状態」でしょう。

退屈とか考える余裕が無いと思います。

 

次に②について。

これは、「余暇の過ごし方に満足している人」ということになるでしょう。

休みの日は家族と遊んだり、趣味のスポーツに没頭したり。

 

そして③です。

これは、「余暇の過ごし方に満足していない人」ということでしょうか。

とりあえずしたい事がないから、手近なレジャー、パチンコやギャンブル、携帯ゲーム、テレビ、で時間をつぶす。

休日のお父さんといった感じで、何となくこれもよくいるタイプではないでしょうか。

 

◆「暇」が無いのに、「退屈」している人

ここまでの分析ならば、何となく少し考えればわかるのですが、さらに筆者は現代人の特徴として、

 

④「暇」が無くて、「退屈」している人

 

という第四の形態を見出します。

 

これはどういうことなのでしょう。

例えば、こんな状態をイメージします。

 

仕事だけでなく、スポーツジム、飲み会や英会話スクールと、平日も休日も忙しくスケジューリングして、クタクタになったうえで、自分がどれだけ疲れているかをせっせとSNSにアップする。(=暇がない)

なのに、何となく気持ちは満たされていない。(=退屈している)

 

どうして退屈してしまうのでしょう。

それは、「それをやる理由」にありそうです。

 

・仕事=食べるため

・ジム=健康のため

・飲み会=人脈作りのため

・英会話スクール=仕事に活かすため

・SNS=承認が欲しいから

 

どれもこれも、理由が外的なものであって、「ただそれをしていることが楽しいから!」という理由がここにはありません。

 

「今いる地位や持っているものを失いたくないから」という理由で楽しくないけど続けてしまう、というのもあると思います。

 

SNSなんかは、「誰かに負けたくないから」という理由で頑張ったりすることもありますよね。

 

この「承認」などの「形のないもの」が現代の最もやっかいなところで、上を目指すと尽きることがありません。

「いいね」100もらえば200もらいたくなり、200もらったら1000もらいたくなり、・・・10万もらいたい・・・無限。

「地位」「ブランド」もそうですね。上を見るときりがありません。

 

そして、その「形のないもの」に対する欲望を見事に煽っているもの、それが資本主義なのでしょう。

 

成長が絶対であり、前年より多く売らないと仕事をしていないという価値観。

際限も無く、便利なのかどうかよくわからない新製品を作っては捨て、作っては捨て、、。

どこかおかしいと思っていながらも、自分の力ではどうすることもできないもどかしさ。それに付き合っているから、とても忙しい。

 

◆結論がまた!

これは哲学書であるので、筆者はこうすべきだ!という結論を明示しません。

しかし、結論として一定の提言をしているところがまた面白いのです。

 

それが、「『際限のある気晴らし』をもっとしましょう!」

ということなんですね。

 

例えばこういうことです。

①焼肉をお腹いっぱい食べたい!

②毎日若い女の子と遊びたい!

③一日中寝てたい!

①焼肉はお腹いっぱい食べたら、もう食べられないです。食べたくなくなります。

②毎日若い女の子と遊んでいたら、疲れます。

③そんなに寝てられないです。

 

「際限のある気晴らし」は「退屈」を生みにくいとのこと。

一理あるような気がします。

でも、後悔(虚しさ)は無いのでしょうか??

 

そこから、また考え出すときりがないんですよね!

それが楽しいんですが。

 

では、また!