ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

読書・読書会・哲学・哲学カフェが好きな人間のブログ

主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

哲学カフェに参加しました ~園田哲学Bar 「正当化」②

<正当化するなよ!という指摘>

おはようございます。ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。

 

今日は引き続き、「園田哲学bar」さんの参加報告の続き

です。

 

昨日のレポートはこちら。

chikuwamonaka.hatenablog.com

  

f:id:chikuwamonaka:20200208064019j:plain

 

昨日のレポートでは、

「言い訳」といったイメージを持たれている「正当化」について検討し、

「後ろめたさを判断基準の置き換えによって言い訳している」という言い換えができました。

 

ダイエット中にも関わらず、仕事で疲れた夜の遅い時間にケーキを食べてしまった行為を正当化するときを例にとると、

「ダイエット中に夜ケーキを食べてはいけない」というルールを破ってしまった自分がいて、「仕事を頑張った日はごほうびにケーキを食べていい」という別のルールに置き換えて、罪悪感を軽減しているのです。

 

 

◆他人による「正当化するなよ」という指摘

では、ここで一度、正当化が起こらない場合について考えてみます。

 

前述の「顧客が損をする可能性が高い金融商品を売るセールスマン」の例に当てはめてみると、そのセールスマンが道義的な後ろめたさを微塵も感じていない場合、正当化は起こらないということになります。

自分の成績と、自分の収入と、経済を動かしているという自負とで動いている場合においては正当化する必要がないからです。

 

しかし、この場合は、他人から「正当化するなよ!」と指摘される場合があります。

本人にその自覚がないのに、相手に指摘されてしまうのです。

 

ある宗教団体の幹部が、「お布施をすると罪が救われる」という教義に従い信者からお金を集めているとします。

その場合、幹部本人はそれが運営資金集めと分かってやっているならば「正当化」になりますが、罪の意識が無くただ協議を信じて集めている場合においては正当化しているわけではありません。

しかし第三者がそれを見て、「正当化するなよ」という指摘をした場合、その正当化の指摘は誤りだということになります。

 

この場合他人による正当化のジャッジは言いがかりということになります。

 

◆判断基準の比較

人が行動するということは、「それをやる」ということを常に「選択」しています。

テレビを観るという行動には、宿題をするやお手伝いをするといったテレビを観る以外の選択肢を排除して選び取っています。

でその行動にあたっての判断基準はひとつではなく複数の基準によってなされています。

 

金融商品を売りつけるセールスマンがもう嫌になって会社を辞める場合を考えてみます。

この場合、顧客に損をさせたくないという価値観が自分の収入を得る目的を抑えたことになります。

これはどう「正当化」しているでしょうか。

「仕事を辞めて無収入になる」罪悪感を「顧客に損をさせなくていい」という道義的な悪さからの解放という基準で置き換えています。

でも、この例のほうが、本人にとってどこか後味が良い「正当化」な気がするのはどうしてでしょうか。

それはおそらく「顧客に損をさせたくない」という価値観が「生きる糧を得る」価値観より勝っている(本人の中で)ということになるでしょう。

 

私がそのような気がしたのは、価値観の葛藤が起こった際、より広い範囲(自分<所属集団<世界 のように広げる)での価値観に当てはめたほうが、なんだか正しいことのように思うからです。

 

 ◆終わりです。

とりとめもなく感想を記述してきましたが、この内容は哲学カフェ本編と、お好み焼き屋さんでの延長戦と、帰ってきてからの私なりの感想を交えていますので、どれが本編のレポートかというと、もうわかりません。

 

でも、哲学カフェは時間内に深いところまでたどり着くことはあまりなく、楽しさはその後再び考えを巡らすことにあると思うのでそれでいいです。

 

今回はいつもよりどこか難しかった印象が強かったので、どうしてだろうと振り返ってみたのですが、ひとつは具体例が少なく抽象レベルでの対話が多かったのではないかと思ったことです。私が抽象レベルだけでの会話に慣れていないということでしょう。

もうひとつは、会が始まる前にイメージしていたことと、実際の話題がかなり異なっていたことで、付いていくのにエネルギーを費やしたことかもしれません。

これもまた哲学カフェの楽しさといえば、そうなのですが。

 

いずれにしても、今回も楽しい時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。

 

 

では、また!