ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

読書・読書会・哲学・哲学カフェが好きな人間のブログ

主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

生活のために、働かなきゃいけない?

<自分の考えを変えるのはタダ>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。

 

「生活のために働かなきゃいけない」 ってよく言います。

これって、どこかイヤイヤ働いている時に使いますよね。

  

「生活のために」と「働く」の間に入る言葉は、たぶん「我慢して」「仕方なく」です。

 

「生活」ってなんでしょう。

生きること。

食べること、住むこと、服を買うこと。

家族とともに暮らすこと。

 

「働く」はどうでしょう。

働くというのは、基本的に人のやらないこと、やりたがらないをやって、見返りとしてお金をもらうものです。

だから、あまり楽しくないことや、面倒なことが多くなるのは当然のこと。

それを、会社に行って、やれ面倒だ、とか、こんなことはやりたくない、とか言っているのは(私もです)、滑稽ですよね。

自分でお金をもらいにいっているのに、お金をもらいたくないという意志も表しているようなものですね。

 

「仕方なく」はどうでしょう。

自分が生きている事や家族を養うことが、仕方なくということになるのでしょうか。 

自分が生きているのは、どうしてだか分からずこの世に生まれてしまって、死ぬわけにもいかないから、確かに仕方ないとしても、家族を持ったのは自分が選んだことで、それを仕方なくっていうのは、どこか自分勝手だということになりますね。

 

「我慢して」は、どうでしょう。

我慢しては、何を我慢するのでしょう。

「好きなこと」を我慢しているのでしょうか。

 

「好きなこと」って、なんでしょう。昼まで寝て、ダラダラして、携帯ゲームして、食べて、飲んで、また寝ることでしょうか。

いや、それとも友達と買い物したり、スポーツをしたりすることでしょうか。

でも、いずれにしても、好きなことをしようとすると、お金はかかります。

 

とまあ、当たり前のことをとりとめもなく考えてしまいましたが、「生活のために働く」というのは、自分が求めるためにお金を稼ごうとして、そのための面倒な仕事を人のせいにしているという、意味の分からないことになっているわけです。

 

結局は、欲望と我慢のバランスの中で落としどころを見つけて皆生きているんだということを日々思いなおすだけでいいと思うし、皆そうしているんだと思います。

 

だから、キツイ仕事でも文句を言わず黙ってやれ!というわけではないです。

 

ただ、現実は変わらなくても自分の考え方を変えるだけで随分違ってくるのではないか、とは思っています。

 

朝起きる時、「あー、今日も仕事行くのイヤだなー」→「今日も何だかよくわからないけど生きていて朝起きられてラッキー」

 

家族がうるさい時、「うるさいなー」→「自分が余命1か月だったらそんなことを思うだろうか」

 

仕事でイライラする時、「○○のバカヤロー」→「これ終わったら帰ってビールだ」

 

あの人の家広くてうらやましいなあと思う時、「どうして自分はダメなんだろう」→「自分はお金のかからないことでこんなに楽しめて幸せな奴だなあ」

 

まあ、こんな感じです。

 

モノばかり追い求めてもキリがないですが、自分の考えを変えるだけならタダで、どっちの考えを選ぶかは完全に自由です。

 

だったら、どうすれば手っ取り早く幸せになれるか、迷うまでも無いですね。 

 

では、また!

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