<『善く生きる』とは?>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。
一日休みましたがおとといに引き続き、
「正義の教室~善く生きるため哲学入門」飲茶の感想を書いていきたいと思います。
前回の記事はコチラ。
平等=功利主義、自由=自由主義と紹介しましたが、最後は宗教=直観主義になります。
◆「宗教=直感主義」
自由に生きてもいい、他人に迷惑をかけないなら。
何が起こっても、すべて自己責任。
でも、それでいいのか?という疑問は常に残ります。
困っている人がいたら助ける、小さい子は気を付けて見守る、お母さんのことが好きだ、そんなことは誰にでもありますが功利主義や自由主義では説明できません。
そんな「説明できない何か」が「直観主義」というものです。
宗教というと、宗教団体に入ったり、特定の神様を信仰したりするということではなく、言葉や物質であるところのもっと外、やっぱりそういうしかない「神の領域」にほんとうの正しいものが存在するというのを信じるという考え方です。
どんなに言葉を組み合わせても、説明できないもの、そんなものがきっとあります。良心とか、道徳観とかいいますが、「理屈や打算なしに思うこと」だから「直観」なのです。
自分の行動を左右している「道徳観」とでもいうもの、確かにあるような気がします。
色んな利害を考えなくても自然と取ってしまう行動、そんなものです。
◆「直観主義」の問題点
一見最も正義に近いように思える「直観主義」ですが、これも問題点ああります。
それは、「説明できない」からこその問題点で、「絶対的に正しい」と思ってしまったら疑うことが難しくなるということです。
他人に対しても「こうあるべき」と押し付けはするものの、なぜそうなのかが説明できないから、異なる主義主張の人と争いになりやすいです。
そして、そもそも絶対的に正しいものなんて存在するのか、
現代では、人間は自分が認識している範囲でしか世界は存在しないのであれば、そんな超越したものなんて存在しえない、とする考え方が主流になってきているのも理解できます。
◆そして、物語はラストへ
物語では、それぞれの立場を主張する3人の女子高生がそれぞれに個人的な問題を抱えていましたが、倫理の授業や皆で対話を続けることで正面に向き合い、闘い、気持ちの整理をつけていきます。
そして、ラストには生徒会長である正義くんが理解します。
「そうだ、正義なんて、神様じゃないんだからわかるわけがない」
「じゃあ、どういう人が正義なのか?それは、何が正しいか分からない不安な状況の中で、最後まで悩んで、苦しみながらも何かを選択した人。『正しくありたい』と思って行動し、結果が出ても『それは正しかったのだろうか』とさえ悩んでいる、そんな人を善いと言わずに何といえるのか」
◆読んで考えてこその哲学
こうやって本の結論を書いてしまうと、あるいはこのブログを読んでいただいた方はなるほどねと思っていただけるかもしれませんが、実はそれはあまり重要ではなくて、本当はこの本の中に登場する様々な考え方に触れ、付随する具体例や思考実験で実際に考え、比較検討していったうえでラストを迎える、ということに意味があるんだと思います。
自分なんかは特に哲学の知識に乏しいので、物語の流れるままに自分でも肯定・否定を繰り返しラストであーなるほどと単純に感じた人間でありますが、そんな感じあっても貴重な読書体験だったと思います。
最初にも書きましたがラノベ風でとにかく読みやすくて、それでいて人類2500年の哲学の歴史をおおまかに理解できてしまい、これからもっと考えていきたいと思うようになった、すばらしい本ですので、是非皆さん読んでみてください!
では、また!