<自分らしさは理想ではない>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。
昨日は「自分らしさ」について少し考えてみました。
昨日の記事はこちら。
少し中途半端な形でしたので、今日は続けてみたいと思います。
昨日は、「自分らしくない、自分らしくなりたい」って自分が思う時に使う「自分らしさ」と、他人が自分を見て使う「自分らしい(あなたらしい)」は、違うものだということを書いてきました。
◆「自分らしくありたい」における自分って?
そうです。「自分らしくありたい!」と思う時に使う「自分」っていうのは、今の「自分」ではないということになります。
じゃあ、誰なんでしょう?いや、自分であることは自分なんだけど、もっとなんか「キラキラした自分」みたいな、理想像を指しているような気がします。
好きなことを自信を持って取り組んでいる自分?
他人にカッコよく見られている自分?
他人から「あなたらしい」と言われる「自分」はここにはいません。
◆理想とする「自分らしさ」に「自分」はいない
やっぱり私には、これは本当の「自分らしさ」ではないように思います。
「自分らしくありたい!」って思う人は、「ありたい!」と思っている時点で、永遠に願いが叶うことはありません。
「自分らしくなる」唯一の方法は、「自分らしい」と「自分が思う」ことでしかないからです。
だから、やっぱり、「自分らしい」は、他人が決める「自分らしい(あなたらしい)」であるとすることがしっくりくると思います。
過去からの積み上げで存在する、現在の自分が持っているイメージ、他人に持たれているイメージ、それこそがやっぱり「自分らしさ」だと思います。
◆自分が想像する「自分らしさ」
以上のように考えると、私にとっての「自分らしさ」とは、毎日仕事が楽しく、家族サービスもマメで、一か月に30冊以上本を読んで、毎日ブログを更新して文章がうまくて、、そんな充実したスーパーマン(笑)ではないんです。
やっぱり、仕事をするのはかなりの割合で楽しくないし、本は週に2冊読めたらいいほうで、ご存知の通りブログは休み休みで、一応これでも頑張ってはいますが拙い文章で、他人のブログ見ると羨ましいばかり、、。
でもやっぱりこれが現時点での「自分らしさ」で、そんな「自分らしさ」を認めて、日々楽しく付き合っていくしかないのかなと思います。
そして、もっというと、ここで書いた自分が思っている今の「自分らしさ」と、他人から見た「自分らしさ」も、また、同じではないんです。
自分は決して他人にはなれないから、他人が思っている「自分らしさ」は、それを自分が想像するしかないからです。
はい、またややこしくなってきたので盛り上がりそうな気がしますが、きりがありませんね。
でも、そろそろこの辺で、一旦終わりにしようと思います!
続きは多分書きません(笑)
では、また!