<今日は晴れだ!>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。
「日頃の行いが良かったから晴れた」
「日頃の行いが悪かったから雨が降った」
とかいいます。
◆公正世界仮説
このように、「日頃の行いが良ければ、良いことが起こるはずだ」という考え方のことを「公正世界仮説」といいます。
公正世界仮説(こうせいせかいかせつとは、人間の行いに対して公正な結果が返ってくるものである、と考える認知バイアス、もしくは思い込みである。
「日頃の行い」がプロセスで「お天気」が結果。
全然因果関係ないです。むしろ原因の一部にすらなっていないです。
日頃の行いが良くても悪くても、関係なくお天気は良くなったり悪くなったりします。
「認知バイアス」とあるからには、勘違いであるということです。
でも、まあお天気の例に関して言うと、本気で思って使っている人はあまりいないと思いますが。
◆1万時間の法則
「武器になる哲学」で有名な著作家の山口周さんは、この「公正世界仮説」の例として、「1万時間の法則」をあげています。
artsandscience-kipling.blogspot.com
スポーツや音楽においてのプロフェッショナルが、小さな頃からわき目もふらず練習したから、一流になれた。
という話を受け、「誰でも1万時間練習すればプロフェッショナルになれる」という勘違いが起こっている、という批判です。
「一流選手は」、「1万時間練習した」ということを言っているので、
「一流選手になった」が結果で「1万時間練習」がプロセスです。
だから、「1万時間練習」は「一流選手」になる要素のひとつに過ぎません。
決して、「1万時間練習」したから、「必ず一流選手になれる」わけではありません。
この辺を勘違いすることが「公正世界仮説」ということになります。
お天気がいいの例に比べてこちらは因果関係はあります。でも「すべてではない」ことに注意するということが重要なようです。
「一流になりたい」からといって、やみくもに「1万時間練習」することは、危険だということです。
1万時間というのは、1日3時間するとして、1年1000時間なので、1万時間は10年です!
それを、「私が一流になれていないのは1万時間練習していないから」と、向いてないことに延々と時間を注ぎ込めるでしょうか。
もっと危険なのは「あなたが一流になれないのは、1万時間練習していないから」と他人にただ練習時間を強いること。
才能や、向き不向き、練習環境、練習のやり方といった別の要素を考慮しないのですからね。
まだ続きを書きたいですが、時間が来たので、たぶん日を改めて書かせていただきます。
では、また!