<因果関係の拡大解釈?>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。
今日は、昨日の続き、「公正世界仮説」についてです。
昨日の記事は、こちら。
昨日は、「公正世界仮説」が引き起こす勘違いについて、プロセスと結果という言葉を使って書いてきましたが、今日はもう少し掘り下げてみたいと思います。
◆メリット
公正世界仮説には、良い面もたくさんあります。
ひとつは、みんなが道徳的な行動になるということ。
良い行いをすれば、自分にも良い事が訪れるとみんなが信じていたら、みんなが人に対して親切になれるからです。
そして、良いことが起こると信じ、未来志向になることで一生懸命何かに打ち込むことが出来るということです。
1万時間の法則では、この信じすぎることの弊害について述べられていましたが、信じることをしないと辛い練習に耐えられないのも事実です。
◆因果応報
いっぽう、「良い行いをすると、いいことがあるはずだ」と信じることは、こういった勘違いを引き起こします。
例えば、若い女性が暴漢の被害に遭うという、痛ましい事件があります。こういうニュースに触れるたびに、被害者がかわいそうという思いと、加害者が憎いという思いが普通起こるものです。
しかしながら、ひとたび「被害女性は度々夜間の家出を繰り返し、複数の男性と交際していた」などといった情報を耳にした途端、「あぁ、じゃあしかたないよね、自分が悪いね」という感情に変わってしまいます。
憎むべきは加害者なのに、どうしてか被害者を責める気持ちに変化してしまいます。
このように公正世界仮説は、
「良い行いをしていると、良いことが起こる」
↓
「良い行いをしている人は、悪いことが起こるはずがない」
↓
「悪いことが起こったのは、悪い行いをしていたからにちがいない」
という勘違いを引き起こすのです。
もしかしたら、彼女が家出していたのは、複雑な家庭の事情があったとしたら、彼女に落ち度があったとは言い切れないですし、もしかしたらその情報すら間違っているかもしれません。
因果関係からすると、深夜に外を出歩いていたことよりも、男女関係のトラブルから被害に遭ったかもしれませんし、たとえ夜道を歩いていなくても、暴漢に遭うことはあります。
もっというと、彼女が深夜に出かけたのは彼女の意志であるように思えるけれど、彼女の中の抑えがたい衝動や欲望がそうさせてしまっただけで、それは彼女の自分の意志でなかったとも言えないでしょうか。
そのようなことを色々考えてみると、彼女が被害に遭ったのは悪いことをしていたからだから仕方がないという論理は限りなく小さなものとなるはずです。
◆だから
人が道徳的にふるまい、平和な社会を築く要因にもなっているこの公正世界仮説という考え方ですが、それが逆に危険な要素を含んでいることを念頭に置いておく必要があるようです。
多くの要因の中のひとつに過ぎないプロセスに焦点を当て、それを拡大解釈することで他人を攻撃することにつながるからです。
「因果応報」「自己責任」「ザマアミロ」などといった感情が起こった時は、「それはどれぐらいの因果関係なのか?」を疑ってみる必要があるということですね!
では、また!