ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

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主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

オンライン哲学カフェ第4回「『自分』って何?」②

<「自分らしさ」は願望?>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。

 

私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。

 

 

今日は昨日に引き続き、第4回「『自分』って何?」の続きを書いていきたいと思います。

 

昨日の記事はこちら。 

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

 

昨日は、前半部分、「自分」というものにいつ気付くのか?についてけっこう深い対話ができたことを書いてきました。

 

後半部分は、すこし話題が変わり、「パーソナリティはどうやって作られていくのか?」とか、「自分らしさってどういうこと?」などについて、これまた興味深い対話が行われましたので、感想を交えてご紹介したいと思います。

 

◆「個性」という自分

私達は、「自分」というものについて、どういうものだと認識しているでしょうか。

「個性」とも呼びます。

 

「『個性』は育ってきた環境によって決まっていく」という意見がありましたが、これは当たり前のようでなかなか重要な点だと思います。

 

「私は○○です」と紹介するとき、○○を、足が二本ありますだとか、肺を2個持っていますという人は、まずいません。

自分の名前であるとか、住んでいる場所、得意なこと、好きなこと、など多くは「他人と違うところ」を話します。

 

「私は忘れんぼうだ」「私は頑固者だ」など、「性格は一生直らない」というふうに言う人がいますが、多くの場合、「自分は○○だ」と考えていることは、小さい頃から置かれていた環境においてたまたまそうなったとか、誰かに言われてそう思っているだけで、それがどうしようもないということはほとんどないと思います。

 

また、それとは別に、

「たいがい複数の『自分』を持っていて、その時々によって出てくる自分が異なるよね」

という意見も出てきました。

「顔」などとも表現されますが、仕事をしている自分、家族といる時の自分、一人でいる時の自分。わがままな自分、、。

 

◆「ほんとうの自分」は「こうでありたい自分?」

「場面によっていろんな『自分』がでてくるとしても、奥の方にある『核』のような『自分』を持っていればいい」

こんな意見もでてきました。

 

自分が生きているうえで最も大切にしていることとでも言いましょうか。

例えば「日々楽しく生きる」とか、「人の役に立つ存在でありたい」とか、「人の上に立って、皆を導きたい」とか、でしょうか。

 

そんなときに出てくる言葉が「自分らしく」とか「ほんとうの自分」というやつです。

 

「『ほんとうの自分』という時は、たいがい『こうでありたい自分』」

という意見がでました。

 

「ほんとうの自分」と言っているのに、「こうでありたい自分」ということは、「ほんとうの自分」は「今の自分」ではない?ということになるのでしょうか。

 

「自分探しの旅」という言葉があります。

「自分の中にない『自分』」を探すって、どういうことでしょうか?この場合における「自分」って、なんなのでしょう?

 

そうですね、この場合における「自分」というのは、「願望」のようなものであるといえるでしょう。

 

ということは、「自分」という言葉には、今持っている「個性」というもの(=過去~現在の自分)、なりたいと思っている「願望」というもの(=未来)という2つの使い方をしていると考えられます。

 

「自分らしさ」については、以前ブログで触れさせていただいたこともあり、自分としてはかなり食いついてしまったトピックでありました。 

※過去記事はこちら

chikuwamonaka.hatenablog.com

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

まだもうちょっと書きたい事がありますが、時間となりましたので、さらに日を改めて続きを書かせていただきます。

 

では、また!

 

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