<マトリックスと、ほんとうの自分>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。
私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。
今日はさらに昨日に引き続き、第4回「『自分』って何?」の続きを書いていきたいと思います。
昨日の記事はこちら。
後半部分は、「自分らしさってどういうこと?」などについて、話が盛り上がりました。
そして、今日は最後に、話題としては少し出ただけですが、私が個人的に少し興味があった部分を紹介して終わりにしたいと思います。
◆今日の「自分」と明日の「自分」は同じ?
映画「マトリックス」での「ほんとうの自分」は今まで生きてきた自分とはまったく違うものだった
こんな意見がありました。
私は「マトリックス」を観たことがありません。なのでちょっと違うかもしれませんが、同じような感覚を持ったことがあるのに気づきます。
朝、起きたら新しい一日が始まっているわけなんですが、起きた瞬間、どこにいるのか、自分は誰なのか、よくわかりません。
少しして記憶が蘇ってきて、ああ、今日は月曜日だったとか、今日はどこどこに行くんだったとか思い出してきます。
やがて何事も無く昨日までの自分であったかのように振る舞うようになりますが、もしこれがコンピュータゲームのような仮想現実だったらどうでしょう。
朝起きる時、脳に蓄積している「データ」を使用して、ゲームを起動するだけで、それをプレイする人は誰であってもいいわけです。
もっというと、全ては見たり聞いたり触ったり、はたまた受けた刺激によって脳が勝手に「世界」をイメージしているので、「本当の自分」はマトリックスのように水に漬けられ電極を付けられてている状態だけなのかもしれません。(思考実験でよく例に出されるあれです)
ともかく、自分が見たり聞いたりしている時以外の世界なんて存在しない、というのは私は日々感じていて、思い切ってそっちの方向に発想を広げてみると、いままで当たり前に思ってきた「自分と他人とは同じ人間だ」という感覚や、「1日24時間・宇宙136億年・・」とかいう時間の感覚も全く違ったものになってきます。
今この瞬間は確かに自分であるけれども、この自分は昨日までの自分と同じかどうかは分からないし、明日の自分だってそうです。
まあ、自分は「こうだ」という答えのないまま色々と書き進めていますが、「自分」について考え出すと、こうもキリがないということでしょうかね。
◆終わりです。
哲学カフェは22時になったら終わりです。
今回は「自分って何?」というお題についてのオンライン哲学カフェでしたが、このように多くの考えるきっかけを得ることが出来ました。
今回も参加していただいた読書会メンバーの方、ありがとうございました。お疲れ様でした!
次回のテーマは「ルールと自由」 に内定したようです。次も楽しみです。
では、また!