<人間は自然の一部ではないの?>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。
私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。
着々と回を重ね、今回が6回目となります。
第5回「ルールと自由」の模様はこちら。
◆今回も「Zoom」を使いました
今回も前回同様、「Zoom」を使用。
「Zoom」とはオンライン会議アプリで、「skype」をイメージしていただくと大体そんな感じで、とても使いやすいテレビ会議アプリです。
主催が会議を「○○日の●時~●時」とスケジュール設定すると、「会議ID」が発行され、参加者はPCのZoomホームページやスマホアプリから、その「会議ID」を入力するだけで、アカウントを作る必要も無く、簡単に参加できます。
音質もクリアでノイズやハウリングもほとんどなく、良いですよ。
◆この日のテーマは「『自然を守ろう』って、どういうこと?」
この日の参加者は11名。時間は2時間です。
オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、1人ずつしゃべる方式にしています。
しかしながら一部の人しか画像を映していないため、挙手が見えないので、発言したい人は「ハイ○○です。」と言い、進行役が指名するという感じにしています。
(画面を見ていると誰がしゃべったか大体わかるんです)
今回進行役も部長のひじきさんにお願いし、私は書記を務めさせていただきました。
この日のテーマも、開始前にメンバーから提案のあったもので、こちらです。
「『自然を守ろう』って、どういうこと?」
このテーマは、私ちくわから提案させていただきました。
6月は環境月間です。
「自然を守るために、何をすればいいか?」を考え、行動しようということなのですが、その前に、私たちが普段使っている「自然」や「環境」という言葉を、一度じっくり考えてみることで、新しい何かが生まれてくるのではないかという試みです。
これから書くことのほとんどは参加者でてきたから発言ですが、少し私の感想を交えてその模様を書いていきたいと思います。
◆人間と自然は別物なのか?
まず、自然というと、緑の草木・野山をまっ先に連想します。
「自然を求めて出かける」という表現もされるように、今私たちの住んでいる場所は「自然」では無いのでしょうか?
「自然」の対義語として、「人工」という言葉が良く使われます。
そこから、やはり人間活動は自然と対極に置かれているように思います。
果たして、人間は「自然」ではないのでしょうか?
人間は、自然の一部では無いのでしょうか?
ここから哲学カフェはスタートします。
「自然」という言葉は人間がいることを前提としている
こんな発言がありました。
言葉というものは人間が作ったものである以上、人間活動に関係しているのだろうということなんですが、もう少し詳しくイメージしてみます。
自然とは人間が活動する前から存在するものです。
で、その自然の中に、人間が田んぼだの村だのを作っていきます。
やがて人口が増え、より効率的に暮らすために、多くの人工物を作るようになりました。
人間は、雨風をしのぐ家を作り、田畑を潤す水路を作り、、あぁ、そうか、人間は自然を自然のままにせず、コントロールしようとしているんですね。
◆人間も自然の一部
でも、人間だって、生き物の一種であるから、自然の一部であるはず(いや、まちがいなく)ですよね。
他の動植物と同じように、生まれては死ぬ。
物を食べて、排泄して、生殖して。
なのに、どうして、人間と自然は別物のように思えてしまうのでしょう?
という問いがありました。
確かに、そうです。
それは、「現代人が、人間は自然の一部であることを忘れてしまっている」からではないか、と思うのです。
何千年もの文明発展のおかげで、人間は自然をコントロールできるようになりました。住居や農業だけでなく、人間の生死すらも自分たちの好きなようにコントロールしようとするところまでにきています。
自然=移ろうもの ⇔ 人間=変わらないことを望む
という対比をした意見もありましたが、人間活動の歴史はまさに自分たちだけが、特に自分だけが、生き延びようと努力する歴史であり、常に変化する自然に対し抗っているという状態であると思うのです。
そう考えてみると、人間活動がいかに不自然なものであるかのように思いますよね。
◆「自然を守る」って?
ここまで、自然について考えてきましたが、では、いよいよ本題の「自然を守る」って、どういうこと?となるわけですが、今日はこの辺までにして、続きは日を改めて書きたいと思います。
では、また!