主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

オンライン哲学カフェ第6回「『自然を守ろう』って、どういうこと?」②

<自然を守ろうは、まだまだ開発したい人間の欲望?>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。

 

私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。

  

昨日は第6回オンライン哲学カフェ

 「『自然を守ろう』って、どういうこと?」

についての記事を書かせていただきました。

昨日の記事はこちら。

 

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

今日はその続きになります。 

 

◆人間を一度離れてみます

自然を人間とのかかわりにおいて、考えてきましたが、一度、人間を離れて考えてみるとどうなるでしょうか。

 

自然とは、自分の周りにあるものほとんどすべてが「自然」と呼ぶことが出来ると思います。地面、山、海、空、動物、植物、。

「環境」ともいえるかもしれませんが、それはたまたま地球という惑星において存在するもの。

地球以外でも考えるならば、真空、ガス、光、チリ。これも広い意味で「自然」でしょうか。

それらはもちろん人間がいようがいまいが、136億年前から存在し、人間や地球が滅びるかどうかに関わらず、ただ存在し続けるでしょう。知らんけど。

 

もちろんこれは極論ですが、地球が守られようが、守られなかろうが、ほんとうの意味での「自然」にとってみりゃ、知ったことではありません。

 

 

◆結局は、「人間にとって」良いか悪いか

ちょっと言葉を換えて、「環境に良い」「環境に優しい」という言葉があります。

「環境に良い」ってどういうことでしょう。

 

では、逆の言葉で「環境破壊」というのを考えてみます。

川や海が汚れたり、生き物が死んでしまったり、砂漠化してしまったりすることですよね。

 

そうなると、何が起こるでしょう。

地球温暖化、砂漠化、土砂災害、作物が育たない、といったことが起こってきます。

これ、結局は「人間にとって」良くないこととなって返ってくるわけです。

 

「持続可能な開発」という言葉がさかんに語られています。

この場合の「持続」は何に係っているでしょう?「開発」ですよね。

では「開発」はどうしてしなきゃいけないのでしょう??やっぱり人口が増えてしまったから?もっともっと快適に暮らしたいから?

  

「自然を守ろう」というのは、結局のところ、人間活動、それも開発・発展する前提において、発展の妨げとならないよう、自然を破壊しないようにしよう、ということになっているように思いました。

 

「守ろう」という言葉、それ自体が、人間は自然の一部であることを忘れて、自然をコントロールできる神の存在であるかのごとく驕りを感じる。

 

こんな意見を受け、やっぱり「守ろう」「大切にしよう」っていう表現はどうかと思うに至ります。

それならば、「共存する」?それでも畏れ多いなら、「間借りさせていただく」?(笑)

 

◆「田んぼ」は自然か?

これは面白い問いでした。

「田園風景」「里山を守る」という言葉があるように、田んぼや野山は「自然」というイメージです。 

でも、田んぼはよく考えると人工物です。山だって、杉やひのきが植わっています。

憩いの場の公園や観光地なんかも、ほとんどが人工物?

 

そういえば、「手つかずの自然」というのもありますね。

手つかずの自然があるなら、「手の付いた自然」もやっぱりあるということですね。

 

人間が自然なら、その人間の活動の結果である「コンクリートの街並み」は自然とは言えないのか?

 

これも面白い問いですね。普段使われている人間の対比としての「自然」なら違うけど、思いっきり広く考えてみると、それも自然かもしれません。 

コンクリートだって鉄鉱石だって、自然にあった岩石から作られていますしね。

 

そんな感じで、問いは進み面白い展開になりましたが、哲学カフェも制限時間の2時間が近づいてきたのです。

 

最後に、私の個人的な感想を述べたいのですが、こちらも時間となりましたので、日を改めさせていただきたいと思います。

 

では、また!

 

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