<それは犯罪行為!>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。
私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。
今日は昨日に引き続き、第7回オンライン哲学カフェ「トロッコ問題」を書いていきたいと思います。
昨日の記事はこちら。
◆大男のトロッコ問題
トロッコ問題は微妙に設定を変えることで、答えが変化するということは昨日書きましたが、別の設定の問題についても検討してみました。
それが、こちらの図になります。
自分は橋の上にいて、トロッコが作業員5人に向かって走ってくるのを見つけます。
横に大男がいて、この大男を突き落とせばトロッコが止まり5人を助けることができます。
あなたなら、この状況で大男を突き落としますか?突き落とさずに5人がひかれるほうを選びますか?という問題。
この問題も挙手ボタンで投票を募りました。
落とさない・・9票、落とす・・0票、わからない・・1票。
最初の問題と比べ、こちらは結果がはっきりとしました。
これは、どういうことでしょうか。
こちらの問題についても進行役が順番に意見を聞いていきます。
出てきた答えがおおむね以下の通りです。
・レバーの切り替えと違い、大男を突き落とすというのは殺人行為。
・5人を助けるために、殺人行為をするわけにはいかない。
・無関係の男を何故巻き込まなくてはいけないのか。
・最初の問題より、自分の関与度合いが強まっている。
私も同意見となります。
最初のトロッコ問題での、レバーの操作すら嫌がっているのに、大男を突き落とすとなると、なおさらです。
この問題は、5人を助けないことより、1人を傷つけるインパクトのほうが強い、ということになると思います。
商店街で募金をしていて、自分が千円寄付すれば5人の他国の子供を救えるのに、持ち合わせがない。
ふと横の八百屋の店主が席を外していて、釣銭の千円が置きっぱなしになっている。
あなたは、これを盗んで募金に入れますか?
大切なプレゼンの日に遅刻をしそうで、駅に向かって走っている。
駅の階段で、おばあちゃんが大きな荷物を持って、階段を昇るのに苦労している。
手助けすると、プレゼンに遅刻し、同僚やお客様に迷惑をかけてしまう。
あなたは、おばあちゃんを手助けしますか?
程度の違いこそあれ、「自分が助けない」ということで、多少後悔はあるかもしれないですが、それによって自分が罪に問われることはありません。
しかし、そのために自分が他人を傷つける行動をとるというのは、それはできないという選択をとることが多いと思います。
◆5人が100人だったら?5人の中に自分の知り合いがいたら?
では、昨日少し触れましたが、設定を微妙に変化するとどうなるか、という議論についても書いてみます。
最初に人数の問題。
「5人を助けるのではなく、その先に100人がいたら?」という問題。
それでも大男は突き落とせないでしょう。でも、レバー操作だったら?
災害現場のトリアージという例があります。
限られた医療資源の中で、多くの人命を救うために、助けない重症患者を選別する行動です。
人数の問題ではない、という意見もありますが、人数の問題である場合もあります。
では、1000人だったらどうでしょう。意見が変わるポイントがあるかもしれません。
次に、「5人の中に自分にとって大切な人がいたら?」という問題。
これは色んな意見が出て、重要なポイントになりました。
もし、5人の中に自分の子供や愛する人がいたら、大男を落とすでしょうか?
私は大男は落とせないと思えますが、レバーなら迷うでしょう。
でも、やっぱり、私は切り替えないと思います。
自分の家族を救うために、無関係の1人を犠牲にした、という結果は、無関係の5人を救うために、無関係の1人を犠牲にした、というより、後悔が大きくなると考えるからです。後悔と同時に「非難」もされることになるでしょう。
この日が出ませんでしたが、更に設定を変えて、最初のトロッコ問題で、5人が無関係の人で、1人のほうが自分の子供だったら?
「切り替えなかった」という選択が、「自分の子供を救うために選んだ行動」という後悔にならないでしょうか?
◆もし、大男がとんでもなく悪い奴だったら?
さらにおもしろいこんな設定についても盛り上がりましたが、時間が来ましたので、続きは、日を改めて書いていきたいと思います。
では、また!