ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

読書・読書会・哲学・哲学カフェが好きな人間のブログ

主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

オンライン哲学カフェ第8回「明日死ぬかもしれません」②

<死んでしまったら、後悔も何もない?>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。

 

私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。

第8回「明日死ぬかもしれません」の続きを書いていきたいと思います。

 

一昨日の記事はこちら。 

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

 一昨日の記事では、明日死ぬ「かもしれない」とはどういうことか、また、普段死ぬことを意識しているか、していないかについて話した内容を書いていきました。

 

今日は、その続きを書いていきたいと思います。

 

◆死ぬ前に、後悔

「死ぬ前に後悔するの嫌だから、できるだけ目の前の事をためらわない」

このような意見が出てきて、あー私もあると思いましたし、多くの人がそう思うでしょう。

この考え方の基本は、

「限りある人生、無駄に過ごすのは人生もったいない」ということかと思います。

人は死ぬ直前になって、「もっと○○しておけば良かったなぁ」という後悔があるといいます。(と、いいますとは、私が死ぬ直前になったことがないからです)

 

それで、自分の子供に向かって、「社会の役に立つ人になれよ」なんて言ったりするようですね。

 

「明日、死ぬかもしれません」と思うことは、「人生が有限である」ことを考える事によって、無駄に日々を過ごさずポジティブに生きられる大切な作業であるといえます。

 

でもここで、「無駄に過ごす」って、どういうことかと考えてしまうわけです。

その過ごし方が無駄か、有意義かは、どんな価値基準から来ているのでしょう。

 

テレビをだらだら見ることが、無駄なのでしょうか。その時間を使って勉強の本を読んでいることが有意義なのでしょうか。

過ごしている一瞬一瞬について、「今、自分は何のためにこれをやっているのか」を意識して、過ごすことが「有意義」なのでしょうか。

 

もっというと、死ぬ「間際」に後悔するといっても、もうちょっとしたら本当に「死んでしまう」わけで、死んでしまったら、すぐに灰にされてしまうわけで、その後悔する自分はきれいさっぱり消えてしまうわけですよね。

 

「携帯電話の履歴を消す」という意見がありましたが、これも数人の人が「あるある」という声が上がりました。

「自分の生きた証を文章にして残しておきたい」なんていう文学的な意見もありました。

 

でも、私はどうだろうか、と考えて別の意見を述べました。

「死んだ後のことは、どうでもいい」

確かに死んだ後に、パソコンにエッチな動画を残しているのがバレたら恥ずかしいです。

でも、その「恥ずかしい」と思っている自分は、そこには、もういません。適当にやってくれたらいいと思います。

葬式のことをいろいろ指示したり、遺産相続争いにならないように気を配るとかありますが、

 

そんなことを全部ひっくるめて、

自分が死んでしまった瞬間、その世界は自分とともに消滅するわけなので、基本的には死んだ後のことを考える必要はない、と私は考えています。

 

◆自分がいなくても世界は回っている

という意見がありました。

自分が死ぬことは自分にとっては、何事にも代えがたい大事です。

ただしかし、人間である以上、死ぬのは当たり前で、死亡率は100%で、ただ1つの例外もありません。

 

 

生物全体で言うと例外はあるかもしれませんが、宇宙136億年の歴史からしたら、自分が生きていることに何の意味もないし、生きようが死のうが、どうってことはありません。

確かにそう考えると、死ぬ前に、あれやっておけばよかったと後悔したり、1分1秒も無駄にしないという気持ちは、あまり意味のないことのように思えてきます。

 

「意味」と書きましたが、「意味」なんて考え方自体も、不要なのかもしれません。

 

◆自分で死ぬことを決められるということ

残り時間も少なくなって、

「永遠の命を得るとしたら、どうするか」

「自分で死ぬことを決められる『自死』『安楽死』について」

という、2つの興味深いトピックが出てきました。

 

この辺のテーマは、小説の題材にもなるほど、奥の深い問題ですから、とうてい語っている時間はないのですが、それに少し触れて、終わりとなりました。

 

その部分の様子とまとめの感想については、また日を改めて書かせていただきたいと思いいます。

 

では、また!

 

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