ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

読書・読書会・哲学・哲学カフェが好きな人間のブログ

主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

時間がもったいない?

<そのもったいない時間の正体は?>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。

 

1分たりとも無駄にしない、したくない。

そんな価値観が増えていないでしょうか。

 

自分もそうです。最近、じっとしていられなくなりました。

ちょっとした待ち時間を、待てなくなりました。駅まで歩く10分間、薬が出てくるのを待つ5分間、ティファールのお湯が沸く2分間、機械駐車場で車が得てくるのを待つ1分間、ノートPCが立ち上がる30秒間、エレベータで下まで降りる20秒間、エクセルシートが計算している10秒間、、。

 

ちょっとした待ち時間があると、「何かしよう」と思ってしまいます。

だいたい何をしているかと言うと、スマホを見る(ヤフーニュース等)か、周りの片付けか、どちらかです。

 

どうして、何かしてしまうのでしょう。

 

ひとつには、「何でもできてしまうから」があると思います。

スマホがあれば、お買い物もできるし、お友達とメッセージのやり取り、約束の確認、天気予報、調べ物、ゲーム、、必要なことはほとんどできてしまうのではないか、という感じの世の中です。

 

 

どうせ、後でやらなきゃいけないことを今、やっとこう、っていう感じですね。

 

これが30年前だったら全く違っていたと思います。

出来ることといえば、持っている本を読むか、周りを見回すことか、考え事をするぐらい。

 

どちらが良い悪いというわけではないですが、今は圧倒的に「できてしまう」ことが事実としてあります。「できてしまう」からこそ、やりたくなるんです。アクセクやってしまうんです。

過去は仕事も趣味も1つずつが関の山でしたが、今は複数の仕事や趣味を掛け持ちするのが当たり前になっています。

 

でも、できてしまうとしても、やらなかったらいいんじゃないの?

確かに、どうして、やりたくなるんでしょう。

 

「時間がもったいない」という感覚が常にあるからでしょう。

「時間がもったいない」ってどういうことか、と考えると、やっぱり、人生は有限であることが一因となっているでしょう。

あと100億年生きるとしたら、焦らないと思いますし。

 

私も平均的に見て、あと30数年で死にます。ひょっとしたらあと5年で死ぬかもしれません。だから生きている時間を大切にしなきゃいけない。そんな気持ちはあります。

 

でも、本当にそれだけでしょうか?

例えスマホを持っていても、自分や周囲の人々が田舎で畑仕事をしてのんびりとその日ぐらしをしていたらどうでしょうか。

ジョウロの水がたまる30秒の間に、アマゾンプライムでビジネス書を探しているでしょうか。

きっとそうしていないと思います。

ここで大事なのが、「周囲の人々もそうやっている」ということです。

 

周囲の人がそうしていなければ、自分もそうしないのではないでしょうか。

「負けたくない」っていう気持ちが働くから、時間を無駄にできない、っていう価値観が起こりませんか。

もっともっと人より成長したい、っていう欲が出るから、っていうことは考えられないでしょうか。

 

私も現に今、朝5時に起きてこうやって書いています。時間を有効に、効率的に使おうと試行錯誤した結果の朝5時です。

 

でも、3たび立ち止まって考えてみます。

1分1秒も無駄にしない過ごし方をした結果、何が起こるのでしょう?

仕事がうまくいって、老後の貯金が増える?

自分が偉くなって、尊敬される?

友だちが増えて、日々楽しい?

 

「1分1秒の積み重ねが10年経ったら大きな差になります」という価値観の呪縛からなかなかなか脱出できず、自分の人生なのに、自分でどうしたらいいかを周囲の価値観に委ねてしまっています。

まぁ、仕方ないですよね、答えなんてないんだから。

 

でも、少しずつ自分の考えも変わろうとしています。

そんな自分が、最近よく思い返すキーワードで締めたいと思います。

「みんな死んだら平等に灰になるだけ、その間に何をしたかは、まったく関係ない」

 

では、また!

 

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