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「同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか」 鴻上尚史 佐藤直樹

<何故日本では「自粛」がうまくいったのか?>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

今日は、この本。

同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか (講談社現代新書)

 

内容<amazonより>

新型コロナウイルスがあぶり出したのは、日本独自の「世間」だった!
長年、「世間」の問題と格闘をしてきた二人の著者が、自粛、自己責任、忖度などの背後に潜む日本社会の「闇」を明らかにする緊急対談!

●戦争中から変わらない「国民総自粛」
●日本人が名刺をもらうとホッとする理由
●「世間=同調圧力」を生み出す日本独特のルール
●西欧は「社会」、日本は「世間」の大きな違い
●感染者はなぜ謝罪に追い込まれるのか?
●学校でも会社でも「先輩」が強すぎる不思議
●日本では「批評」がそのまま「人格批判」となる
●言霊の国なのに、言葉が信用されない謎
●ネット上の匿名が圧倒的に多い日本人
●若者の自己肯定感が低い理由
●なぜ出る杭は打たれるのか――芸能人の政治発言
●不寛容の時代に窒息しないために

生きづらいのはあなたのせいじゃない。世間のルールを解き明かし、息苦しさから解放されるためのヒント。

この本は、「空気を読む」や「世間」といった研究をされている鴻上尚史氏・佐藤直樹両者の対談という形で進み、今年に始まるコロナ下での日本国内の特殊な状況を分析しています。

 

◆コロナ禍による戦後初の○○は、まさに戦時下の様相

 

緊急事態宣言による外出自粛、戦後初の高校野球大会の中止、娯楽施設の営業中止。

まさに戦争でなければ起こらなかったようなことが今年、次々と起こっています。

 

戦時下に生きていなかった私にとってこれがどういう意味を持つか、冒頭を読んで改めて考えるてみると、歴史が繰り返されていることがよくわかるんですね。

 

・娯楽施設の営業自粛

・自粛に応じない施設の非国民扱い・嫌がらせ、密告(自粛警察)

・コロナ疎開

・危険な前線で闘う従事者の神格化

・「我慢できる日本人」という誇りのようなもの

・異論を言うことを許されない大手メディア

 

で、この日本の異様な空気が他国とどう違うのか、それがもたらす功罪について改めて考えてみようと、問いを提起する対談なんですね。

 

◆「世間」という日本独自のシステム

日本はどうして法に基づく「命令」がないのに、一糸乱れぬ団結力によって甚大な被害を出さずにコロナの難局を乗り切っているのか?

 

そこにこの本の中心となる考え方、「世間」という概念が出てきます。

「世間」というのは日本独自のコミュニティのカタチであって、それは「社会」と呼ばれる「法」に基づいた集まりとはまた異なるルールを持っていると言います。

 

イメージとしては、

「社会」は「日本」や「○○県」のように、たまたま法的にあるグループに属していて、お互いに知らない話もしない関係。

対して「世間」は、「親族」「学校」「部活」「会社」のように、自分が属し積極的にに関わっていかなくてはならないグループです。

 

そんなの海外にもあるじゃんと思いましたが、日本のそれは、強い独自ルールを持っていて、そのルールを守ることを強要し逸脱すると排除されるといったことになる、ということなんです。

集団から排除されたら、無視され実際に生活に困るような嫌がらせを受けることになります。それを恐れるから、世間という集団のルールを守らないといけないのです。

 

冠婚葬祭のルール、儀礼的な贈答習慣、長幼の序列、なんかはすぐに思い浮かびますよね。

そして、その「世間」のルールは時に「法律」より優先されることもあるというんですね。

 

例えば企業の粉飾決算。「創業以来毎年増収増益でやってきた」という事実がいつのまにか「世間のルール」になって、法を犯してまでもそこに従ってしまう。

中学校の部活の上下関係なんかもそうですね。今はどうかあまり知りませんが、下級生を奴隷扱いしても許される、異様な集団でしたよね。

 

最初のコロナの話題に戻り、明らかにみんな無駄と思っている○○マスクを増産してやめられなかったことやその他批判されている政策も、国民への裏切り行為より、お友達間の約束を優先した結果と言えるんでしょうね。詳しいことは、知らんけど。

 

◆「世間」のルールの特徴

このように大きな力を持っていて、つまはじきされることへの恐怖を覚えるほどの「世間」というもののルールとして、筆者はいくつかの特徴をあげています。

・お返しのルール

・年上・身分のルール

・みんな同じのルール

・儀式のルール

 

それらについて少しずつ考えていきたいと思います。

 

◆お返しのルール

日本人はつながりを確認するために、贈答を頻繁に贈り合う文化であるといわれます。

貰ったものにお返しをしないと、なんだかムズムズする気持ち、あります。

ある一定の年齢以上の人は、お歳暮や年賀状がそうですね。

祝儀の半返しなんて、合理的に考えると明らかに無駄なんですが、それが立派にビジネスとしてすら成り立っています。

 

もっと身近には、ビジネス上のメールのやり取りの、「○○依頼します」→「処理しました」で終わってもいいのに、→「ありがとうございます!」→「今後ともよろしくお願いします」なんて続けてしまう、冗長行為。

 

LINEの「既読スルー」問題なんかも、まさにこの「お返しのルール」に当てはまるんですよね。返さないと、嫌われちゃうかもと思ってムズムズする感じ。

 

日本人ならではと言われると、ふだん「常識・マナー」と偉そうに言っている事なんて、ただの「癖」ぐらいだなって思いますよね。

 

◆年上・身分のルール

先ほど中学校の部活でも触れましたが、世間のルールでは、人権を無視するほどにこの「年上は偉い」ルールがまかり通っていましたよね。

転勤してきた人に対し、最初はよそよそしく接していますが、相手の年齢を確認して自分が年上であると分かった瞬間、言葉遣いが変わり、態度が変わる人、いませんか?

あと「身分」というと、大げさかもしれませんが、やたら出身大学を気にする人、出身県が同じで急激に親密度が増す人、いるでしょ。

 

パーソナリティで判断せずに、年齢・肩書きから態度を決められてしまうことあります。そして、そのルールを守らないと、「非常識」とか「生意気」とかいうことになるんですね。

自分でもそれを恐れ、言われてもいないのに、そういう態度を取ってしまう。

「アイヒマン実験」を思い出せばそのような現象は、日本だけではないのでしょうが、しかしここまでではないんでしょうね。

 

◆続く

ちょっと長くなってきたので、続きは日を改めさせていただきます。

 

では、また!