<どうして「自己責任論」を振りかざしたくなるの?>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。
昨日に引き続き、第13回哲学カフェ「自己責任」の模様を書いていきたいと思います。
昨日の模様はコチラ。
◆「自己責任論」を振りかざす人の心理
自己責任で行っている人に対し、わざわざ非難するのはなぜだろう?
自己責任論を振りかざしてしまう人は、どうしてなのだろう?
という問いが起こってきます。
遠くの国で武装組織に捕まった人は、自分に何の関係も無いのに、何故か腹が立って友達にそのことを言いたくて仕方がない。ツイッターでつぶやいてしまう。
「義憤」という言葉が出てきたのですが、ルールを破ってケガした人に対し、「お前は当然の報いを受けた」と言いたいんですね。
「自己責任」は「ザマアミロ」とも言い換えることができるということになります。
この「ザマアミロ」が行き過ぎると、「○○叩き」という行動に変化します。
ルールを破ったのだから報いを受ける「べきだ」となるんですね。
この哲学カフェではよく出てくる「公正世界仮説」というやつ。
その義憤の中にあるのは、「正義の味方になりたい」という欲求であり、日頃そのような欲求を満たされていないと感じている人ではないでしょうか。
セレブな芸能人が、事業に失敗してお金を失ったり、麻薬で捕まったりすると、自分が全く関係ないのに、ちょっとだけザマアミロという感情が起こってしまいます。
そんなことを考えるたびに「自分って性格悪いね」って思うんですが、そこにあるのは、ただの「嫉妬心」ですね。
◆いろいろありましたが、終わりです。
今回は「自己責任」がテーマで始まりましたが、自分の中で思う「自己責任」と、他人に対して思う「自己責任」とは、ずいぶん性質の違うものだった、というのが大きな印象ですね。
特に他人に対して使う「自己責任」は、自己顕示欲や嫉妬心など、いろんな感情が原因となっていて、あまりいいイメージではないなぁと思ったり。
自己責任で行っても結局は自己責任で終われない、そんな矛盾構造だったことも印象に残りました。
2時間経ったので哲学カフェは終わりです。
最近は、20時スタートなので、22時で一応締めるのですが、終わった後にZOOM会議を落とさずに残りたい人が残ってあと1時間ほど雑談するのが恒例になりつつあります。延長戦というやつです。
本編で言い足りなかったこと、オンラインのやり方に対して課題、取り上げたいテーマについてなどで、本編以上に話が盛り上がったりすることもあったり。
読書会からできたグループなので、最近読んだ本の話もよく出てきます。
この日残った3人のメンバーでは、西洋哲学、東洋哲学のちょっとコアな話題になりましたね、、。でも面白かったです!
というわけで、今回のオンライン哲学カフェのレポートを終わりたいと思います。
次回も楽しみです!
では、また!