<不自由=不幸なのか?>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
今日は、先日に引き続き、この本。
先日の記事はコチラ。
◆「戦争は平和」「自由は隷従」「無知は力」
一党独裁「INGSOC」の3つのスローガンというのがこれです。
このスローガンがこの物語の根幹をなしています。
一見矛盾するこの言葉の組み合わせも、理解すると、なるほどと納得すると同時に現代の社会にも通じるところがありますね。
一党独裁の継続のためには、ある程度の不自由と不平等が不可欠になります。
◆「戦争は平和」
経済発展が進み、人々にモノが行き渡ってくると、だんだんものを買わなくなってきます。そこで意図的に戦争を起こして破壊と再生を繰り返し、生産を滞らせないようにしているのです。
経済成長が前提となっている現在の資本主義社会にも通じるところがありますよね。
買ったら捨てる、買うために捨てる、食べないで捨てる、、
◆「自由は隷従」
この物語の主題で最も印象的だったのがこの言葉です。
党員は皆、党に四六時中監視され盲従することと引き換えに、ある程度便利で豊かな暮らしを享受しています。
しかしいったん党のやり方に不満を持って「改革をしなければ」なんて気持ちになればたちまち多大なリスクを伴います。
「テレスクリーン」に見抜かれ思考警察に捕まったら、激しい拷問のうえ、改心するまで厳しい再教育が待っています。
現代の私たちにこんなことはないでしょうか。
自分にとって正しいと思うことは「今やっていることではない」、ということは理解していながらも、今ある組織の価値観に従って行動している、ということはよくあることです。
今の仕事が環境破壊を進めていると解っていながらも、経済発展ために必要だと言い聞かせて働いている。
消費者をそそのかして(だまして)、高い物を買わせていると知っていて、身銭を稼ぐために辞められない。
広い価値観よりも、身近の組織の価値観を優先してしまう「同調圧力」というのがありますが、そういった価値観の葛藤は現代でもどこにでも存在します。
それを制度として凝縮したのが1984年の世界。
少数の支配者層が権力を維持するために取っている制度なんですが、構成員もこの制度の下での幸福を考えると、「自由は隷従」となりますね。
「二重思考」というキーワードで見事に表現しているところもこの物語の凄さです。
◆「無知は力」
もうひとつ、この物語には「過去の書き換え」という大きなキーワードがあります。
過去を書き換えることにより、現在に都合に良いようにの作られた事実をより正しいものだと思わせるやり方です。
主人公のウィンストンはまさに「真理省 記録部」というところに所属し、過去を書き換える仕事をしているのです。
現在の戦争の前提に都合の悪い過去記事の一切を消去し、都合の良い記事を捏造し記録していく。
こんな事が可能なんでしょうか?
現在社会では完全に消去することが難しいですが、閉鎖的な組織なら可能なんではないでしょうか。
政治家の汚職でも、怪しいと思って調べたら証拠が全部捨てられていたなんてことはありますが。
フェイクニュースがはびこりやすい世の中になったことは間違いないですね。
以前のメディアのように公衆にでてくる前の検証が、ないまま出てきてしまう記事が多くなりました。
広告についている「データ」も自分ところに都合の良いところだけを切り取って誇大表示することは基本的にどこでもやっています。
情報に対する付き合い方も、ネット中心になって急速に変わってきたように思います。
例えばYAHOOニュースは、記事だけでなくその下の「コメント」をよく読むようになりました。この「コメント」を一緒に読むことにより、記事に対する理解が進んだり批判的に見る姿勢が身に付いたりしているような気がします。
◆まとまりないですが
原作含め、この本を読んで、何十年経ってもあまり変わることのない人間の性質というのを感じますね。
基本的なことはこの時代と変わらない。
でも、それが不幸なのかというと、けっしてそうではない。
不自由を感じることがありながらも、充分幸福を感じて生きています。
むしろ、その不自由さを差し出して、幸福を享受しているところもあります。
自分にとって、このよくわからない世界とどう折り合いをつけ納得感を持って生きていくか、それを考えるきっかけにもなりますね。
では、また!