<自分を肯定できないのは、どんな時?>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催している哲学カフェ。
<彩ふ読書会はコチラ>
彩ふ読書会 – 大阪・京都・神戸・東京・横浜・名古屋で読書会を開催・本が好きな方が本について好きに語れる居場所コミュニティ・読書サークル
コロナ下におけるイベント自粛の流れで、オンラインで行ってきましたが、久々に対面で実施することにしました。
感染防止の観点もあって、今回は屋外で開催することに。
場所は、お城の見える芝生広場。
まずまずお天気も良く、うららかな秋の陽気が気持ち良かったです!
哲学カフェは進行役がいて、あと少しのルールがあれば、準備するものは他に何もありません。
屋外であっても、敷き物だけあれば、すぐに始められるところがいいですね。
お昼に集合したので、ピクニック気分でランチしていると、皆が集まってきます。
◆この日のテーマは「自己肯定感と欠乏感」
この日の参加者は10名。時間は2時間です。
この日のテーマは、メンバーの推薦により選ばれた
「自己肯定感と欠乏感」
です。
このイベントを提案してくれたメンバーがお題を出してくれたので、進行役もお願いすることになりました。
このお題の背景には、以前行った「哲学テーマの読書会」がありまして、その中でこの日の進行役が紹介してくれた本、「本当の勇気は『弱さ』を認めること」に由来しています。自分もこの本は読んで、少し考えた事があります。
では、青空哲学カフェのスタートです。
◆「自己肯定感とは?」
まずは、進行役から、以下のような問いが発せられました。
「『自己肯定感』という言葉自体、自分が子どもの頃はほとんど聞かなかったのに、近年やたら耳にするのはどうしてだろう?」
確かに「自己肯定感をはぐくむ子育て」など、世の中は自己肯定感ブームの様相を呈しているような気がします。
しかしながら、自己肯定感は持っていたほうがいいのでしょうか?
そもそも、自己肯定感って、何なのでしょう?
メンバーより、「自己肯定感」が無かった時、あるいは今の「自己肯定感」についての話がチラホラ出てきます。
自分の欠点ばかりが気になってしまう、自分の行動に対して自信が持てない、などなど。
その中でも、
「自分が『普通』になれなくて苦しんでいた時期がある」
「自分が『何者か』でないといけない気がして焦っていた」
この2つの意見は印象的でした。
この「普通」や「何者か」というところに、自己肯定感の本質がありそうな気がします。
その自分が目指していたところの「普通」や「何者か」というのはいったい何なのでしょうか?
が、その前に、もう一つのテーマ「欠乏感」を考えてみる必要がありそうです。
あまり書けませんでしたが、時間が来ましたので、続きは日を改めて書いていきたいと思います。
では、また!