<価値観の交換>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。
昨日の記事で、
では哲学カフェとはどのようなものか、どの辺が哲学なのか、という問いに対しては、
自分がいま大切にしたいと思っていることが2つあってそれを紹介させていただきたいと思います。
ひとつは「価値観の交換」、もう一つは「本質の探究」です。
ということを書きました。
これについて、もう少し詳しく書いていきたいと思います。
ちなみにこれから書いていく内容については、この本に書かれていることに影響を受けていますので、興味のある方はこちらもご参照ください。
改めて、「哲学カフェ」というものは、ひとつのテーマについて、みんなで自由に対話する、という以外ほとんど制約はありません。
なので、本題から脱線しまくったり、ただの雑談になってしまうこともときどきあります。
それはそれで楽しくていいのですが、そんな時は、できるだけ「問い」を発するようにしています。
自分の大切にしている目的、「価値観の交換」と「本質の探究」をできるだけ体験しようとするために。
まず、「価値観の交換」とは、自分が持っている価値観と、他人が持っている価値観の「違いを知る」ことです。
じっさい、哲学カフェを体験した多くの参加者から、「自分とは違う価値観の話が聞けて面白い」という感想が多く出てきます。
例えば「お金」を例にとってみると「あればあるほどよい」という人と、「必要なだけあれば、余分は要らない」という人がいます。
そして、それを「人それぞれ違うんだね」で終わるだけではなく、その背景にある「欲望」のようなもの、「将来不安」であったり、「地位や名誉」であったり、「その日の幸福」であったりを対話の中で探り出すことで、自己理解を深めるとともに、もっと自分にとって良いように、未来の行動を変えるきっかけになると思うのです。
じっさい私も哲学カフェの中で、自分の価値観というものは「命懸けで守るべき宝」ではなく、「検討に値する可能性の一つ」でしかないことを思い知る場面に多く遭遇していますから。
また、それはそのまま「他人の意見を認め尊重する」という行動の訓練にもなります。
哲学カフェでは、意見が違っても、「それは違うと思います」とはあまり言いません。ではどう言うかといえば、「わたしは別の意見を持っています」と別の意見をただ表明するだけです。
そしてもうひとつ、「本質の探究」についても書かなければいけないですね。
と思ったら、時間が来てしまいました。
続きは日を改めて。
では、また!