<自分は嫌だと思っている。でもなぜ嫌だと思うのか?>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
今日は、この本の続きを書いていきたいと思います。。
昨日の記事はコチラ。
昨日は、日頃の悩みというのはほとんど「反応」していることに起因しており、その「反応」を「今、自分が反応しているな」と理解することによって、余分な悩みを軽減できる、ということを書いてきました。
反応していることを理解するとは、自分をメタの視点から正しく見ることです。
◆絶対「正しい」ことなんか、どこにもない
では、自分をメタの視点で正しく観るとは、どういうことでしょうか。
筆者はその「正しく」ということにも言及しています。
その「正しさ」を文字通り「正しく」理解するということが、「反応しない」には重要となりますので、続いて書いていきたいと思います。
ここにおける「正しさ」とは、「ありのままに見る」ということを指します。
「こうあるべきだ」といったような「正しさ」を判断するのとは違います。
そのような「正しさ」は「判断」が入っているからです。
「ありのままに見る」は決して「判断」せずに、ただ「そうなっている」と観察することです。
しょせん「自分の思い込み」でしかない「判断」を、今自分がしている状態に気づく、ということが肝心なところなんです。
◆マイナスの感情は損する
と、反応しないことについて書いてきましたが、結局大切な事は、目の前の現象と感情を分けて考えるということだと思います。
数日後に控えているテストとか、プレゼンとかの前は、何をしていてもどこかどんよりとした不安な気持ちが心を離れません。そして、それに関する作業を先送りにしてしまいがちです。
もっと身近な例で言うと、日曜日は起きるのや歯磨きや洗顔をするのが遅くなりがちです。
何となく不安だとか、面倒だとか、そういった理由で行動が先延ばしになってしまうのです。
しかし、自分が嫌か嫌じゃないかに関わらず、それはいずれやらなければいけないことですよね。
ここで、「今、自分は嫌だと思っている。でも、嫌な気持ちは横に置いといて、とりあえずやろう」と思い直して、動き始めることが出来る、ということが肝心になってきます。
どこかの本で読みましたが、テストの成績がいい子供の統計を取ったら、その子たちは「面倒な気持ちは横に置いといて、先にやってしまう」という傾向にあるということがわかったということです。
仕事上のトラブルで、お客さんのところに謝りに行かなければならない時、すごくおっくうで行きたくないです。でも、その場合の「行きたくない」気持ちはどこから来ているのでしょうか。もちろん、行ったら怒られて、「嫌な気持ち」になるからですよね。
でも早い話、それだけです。遅かれ早かれ嫌な気持ちにさせられるのは仕方がありません、しかしそれも一定の時間が過ぎれば終わります。
こんなふうに、今自分はどういう「反応」をとっているか、観察してみることです。
そうすると「反応」にはさまざまなものがあるということに気づくはず。
◆「反応」にはさまざまなものがあって、それを知っておく
もうちょっと書いていきたいと思いますが、時間が来ましたので、続きは日を改めて。
では、また!