主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

オンライン哲学カフェ第18回「『演じる』 ~あなたは『演じている』と思っていますか?」③  

<演じることを考えることは、個性を考えること>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。

今日は昨日に引き続き、第18回オンライン哲学カフェ「演じる」の続きについて書いていきたいと思います。

 

昨日までの記事はこちら。 

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

chikuwamonaka.hatenablog.com

  

昨日までの記事では、

・「演じる」とは、意識的・無意識的に関わらず日常的に行っていること

・その「演じる」ための「規範」のようなものがそれぞれの場において存在していること、

・もし「演じなかったら」社会生活ができなくなるだろうということ、

・「演じていない自分」は「ほんとうの自分」なのだろうか?

・「演じる」ことは、幸福度を下げることなのか?

・「演じる」ことは、陰に「隠しごと」がある。

・「演じる」ことの陰にある「隠しごと」が「ほんとうの自分」なのか?

 

ということを書いてきました。

 

 

◆「ほんとうの自分」なんてあるの?

昨日は、ここまで書いてきました。

 

「演じる」というのは、相手との関係性の中で初めて成り立つものだから、それぞれの対人関係の中では、その演じている姿こそがその人のすべてであり、「ほんとうの自分」なんてどこにも無いんではないか、と思ったんですね。

 

確かその後で、別のメンバーが、

「ほんとうの自分がどこにも無いならば、演じている一つ一つの『役』の総和がその人の人格を決めるということになるの?」 

と言ったと思います。

 

うーん、かなり核心を突いてきたような気がします。

 

◆終わりです。

ここまで書いてきて、あえてまとめるとすると、こうなるでしょうか。

 

演じるということは、コミュニティや目の前の他人との関係性の中で想像して、自分にとって最適な行動をとること。

そしてその演技が、陰にある自らの欲望に反するか反しないかによって、負荷のかかり方が違ってくる。

 

「ほんとうの自分」については、「個性(パーソナリティ)」とも言い換えることができますし、そもそも「パーソナリティ」の語源は「ペルソナ(顔)」であることから、「演じる」と強い関係があるはずです。

 

今回あまり触れませんでしたが、ファッションやメイクなんかも、演じることが個性につながる典型的な例であると思います。

 

と、まぁ書き続けるときりがないので、この辺で終わりにしたいと思います。

 

いよいよ年末。今年も、オンライン会議ツールのおかげで、このような情勢下でも、たくさん哲学カフェに触れることができました。哲学カフェは次回でいよいよ今年も終わりになるかと思います。

 

では、また!

 

 

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