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旧:ちくわのぴょんぴょん読書日記

「完全教祖マニュアル」架神恭介/辰巳一世

<不満がないなら、つくればいい!>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

今日は、この本。 

完全教祖マニュアル (ちくま新書)

完全教祖マニュアル (ちくま新書)

 

 

内容<amazonより>

多くの人をハッピーにしながら、大きな尊敬を受ける―教祖ほどステキなビジネスはほかにありません。キリスト教、イスラム、仏教などの大手伝統宗教から、現代日本の新興宗教まで、古今東西の宗教を徹底的に分析。教義の作成、信者の獲得の仕方、金集め、組織づくり、さらには奇跡の起こし方―あらゆるシチュエーションを実践的に解説した本邦初の完全宗教マニュアル。

この本は、「教祖になるというのはとっても簡単です。さぁ、この本に書かれていることを順番に実践し、楽しい教祖生活を送りましょう!」という体裁をとっていますが、中身はメチャクチャ科学的な分析のもとに書かれていて、宗教というものの本質をついている素晴らしい本でした。

宗教に限らず、組織を作ったり、人を動かしたりするうえで大切な要素がここにはたくさん落ちているんですね。

 

◆教祖とは何をするのか?

宗教というのは、それが正しいかどうかはどうでもいい。

教祖の仕事は、宗教を通して人をハッピーにすること、に尽きる。

最初に書かれているのは、こんな文章なのですが、ここにこの本のエッセンスが詰まっています。

 

宇宙からのメッセージを伝えたり、ありがたい水を飲ませたりするのは、信者をハッピーにするためであって、そのプロセスがインチキであろうと論理が破綻してようと、お金を巻き上げられようと、結果として信者がハッピーになればそれでオッケーなのです。

 

そんなムチャクチャな!と思いますが、実に世の中にある宗教というものは、多かれ少なかれこの本に書かれている手順のいくつかを活用して存在しており、長く続いているものほど、当てはまることが多いのです。

 

◆宗教とは不満解消ビジネスである 

つまるところ宗教はこういってしまっていいのではないでしょうか。

貧しい人や恵まれない人に生きる希望を与えたり、そうでない人にも労病死への不安を軽減させたりします。

 

「ビジネス」というと、どこかドライでネガティブな印象ですが、宗教を始めたきっかけは決して儲けたいと思ったからではなく、「周りの人の不満を解決してあげたい」という人助けの精神からというのがほとんどでしょう。

 

ということは、宗教ではない一般的な企業がやっていることとさほど変わりないということになります。会社というものは、人の不満を解消する、社会に役立つための仕事をする人が集まってできているものですから。

 

「不満がないなら、つくってしまえばいい」ということばがとても印象的です。

現代人は、どこか漠然とした不安はあっても、目に見える不満というのはじっさいそんなに無いものです。

だったら、つくればいい。

古典的なものとしては、「最近不運な出来事がありませんでしたか?じつはあなたの後ろにはいま悪霊がついてますよ」というやつです。「そんなことない」と興味ない人もいますが、「実は、最近いやなことが立て続けに起こってるんです」という人は必ずいるはずで、そんな人の中には「そうだったんだ!」と思って、信じてしまう人もいるでしょう。

そこで、「このパワーストーンを家に置いておけば大丈夫ですよ」となるわけです。

最近では「科学のようなもの」が主流かもしれませんね。「あなたの便秘の原因は水道水から出ているマイクロ波が原因です」とか言って、高額の浄水器を買ってもらうとか、そんなたぐいのやつです。

 

もちろんインチキです。でも、パワーストーンや浄水器を買った当人が、なにかのはずみで状況が改善して、「あぁ、これ買って良かった!」と思えたなら、少なくとも当人同士のあいだでは、どこにも問題は無いといえます。

教祖の役割は「信者をハッピーにすることである」と筆者が最初にいうのは、そういうことです。

 

もっというと、先に書いた一般企業も、昨今では「不満がないなら、つくってしまえばいい」の精神が多くなっているように思います。

「普通にぞうきんでテーブルを拭いているアナタ、実は!!」なんてフレーズがあるように、今まで普通にぞうきんで拭いていて何の問題もなかった家にわざわざ不満をもちこんで、ナントカイオンの入ったスプレーを買わせようとしています。

余談でしたが、やり方としては同じだと思います。

 

ひとまず良い悪いということは置いといて、こういう仕組みになっているということを知っておくことはとても大切だと思います。

 

◆では、古典的宗教はどうなんだ?

この本の凄いところは、徹底的に客観的であるところです。

宗教となると、どうしてもイデオロギーの対立になりがちで、宗教の本はどこまでいっても自分がひいきにするものが中心理念になってしまいます。

それは、キリスト教やイスラム教、仏教や神道であっても、本質的には変わりないということを論理的に分析しているところです。

その辺については、日を改めて、続いて書いていきたいと思います。

 

では、また!