<「苦労」という言葉に苦労しました>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。
今日は昨日に引き続き第22回「苦労は買ってでもしたほうがいい?」の続きを書いていきたいと思います。
昨日の記事はこちら。
◆この日のテーマは「苦労」
昨日は、
・ストレスを伴うもの
・できれば避けたい
・困難から逃げない力、経験を育ててくれる
・若いうちの方が立ち直りやすい
・後になって気づくことがある
・目標を達成するための苦労と、目的化した苦労
・他人に言われると嫌な気持ち
・価値観の押し付け
◆苦労をしたほうが「いい」というのは
苦労をしたほうが「いい」というのは、何にとって「いい」のか?
という発言がありました。
それはどういうことでしょうか。
人生にとって「いい」の?何故「いい」の?苦労しなければ「よくない」の?
苦労をすることは、社会に出て課題解決に役立つ経験を得ること、ということなのであれば、課題解決する力、逃げない力を得ることが、「いい」人生・「いい」人間であると言い切っていいのか、ということですね。
これに関しては、「いい」を「役に立つ」と言い換えるとしっくりくる、のかもしれませんね。
少なくとも現代社会にとっては、快適に暮らす前提として、ある程度のお金を稼ぐことがてっとりばやくて、その手段として前述のようなスキルが役に立つという、感じでしょうか。
◆苦労は必ずしなければならないのか?
「苦労をせずに目的を達成できれば、そのほうがいいのではないか?」
という意見もありました。
これは、苦労=生きる力 に、問いを立てているということです。
苦労はしなければ、生きていけない、という世の中が「未熟」なのではないか、
という意見もありました。これもなるほどと思わせます。
人間は快適に暮らす=苦労したくない ために進歩していっています。
だとするとその先には苦労しなくても皆快適に過ごせる世界があるのかもしれません。
だとしても、苦労しなくていい世界なんて今はない
という意見もありましたがこれも確かにそうなのかなと思いました。
◆「苦労したい」という気持ち?
「苦労を楽しんでいる」というような人もいます。
目標を達成するから苦労をする、ということだけではなく、その過程にある苦労そのものを楽しんでいる、と言う人もいます。
そのときの「苦労」ははたして「苦しんで」いるのでしょうか。
何か別の言葉があるのでしょうか。
暇になるとわざわざ苦労を求めているのか、難しいことにチャレンジしてしまうという心理、これも「苦労」でしょうか。
◆終わりです。
終わってみると、「苦労」という言葉は、様々な角度から考えることができる、けっこう難しい言葉だったなぁ、という印象です。
哲学カフェは様々な意見を持った人が発言するからこそ、多くの気づきがあるものです。この日は、そんな側面を遺憾なく発揮したのか、終わった後もなかなかスッキリ晴れない回となりました。これも哲学カフェの面白さといっていいのではないでしょうかね。
ということで、今回の哲学カフェの振り返りを終わりたいと思います。
では、また!