<ルール?マナー?文化?習慣?多数派?>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。
今回は第23回となります。
前回の第22回「苦労は買ってでもしたほうがいいの?」の模様はこちら。
◆今回も「Zoom」を使いました
今回も前回同様、「Zoom」を使用。
「Zoom」とはオンライン会議アプリで、「skype」をイメージしていただくと大体そんな感じで、とても使いやすいテレビ会議アプリです。
主催が会議を「○○日の●時~●時」とスケジュール設定すると、「会議ID」が発行され、参加者はPCのZoomホームページやスマホアプリから、その「会議ID」を入力するだけで、アカウントを作る必要も無く、簡単に参加できます。
◆この日のテーマは「普通」
この日の参加者は10名。時間は2時間です。
オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、1人ずつしゃべる方式にしています。
しかしながら一部の人しか画像を映していないため、挙手が見えないので、発言したい人は「ハイ○○です。」と言い、進行役が指名するという感じにしています。
(画面を見ていると誰がしゃべったか大体わかるんです)
今回の進行役は、ひじき部長に務めていただきました。
私は、ZOOMのチャット画面にメモを残していく書記係を担当しました。
この日のテーマも、メンバーの推薦により選ばれた
「『普通』って何?」
です。
「普通でしょ」「普通じゃないよね」「普通の生活」「普通のサラリーマン」、、。私たちのごくごく身近にあるこの言葉。でもよくよく考えてみると、「普通」って、誰が決めているのでしょうか??
では、哲学カフェ内での発言を振り返りつつ、感想とともに書いていきたいと思います。
◆「普通」はどんな時に感じるの?
まず進行役から発せられた問いが、こんなものでした。
それに対するあるメンバーの答えが、
「『普通ではないもの』に出会った時。」といたってシンプルでした。
ニワトリが先か、タマゴが先か。
でも、まずはそこ。
「でないもの」をイメージしたら、そのもののイメージがでてきやすいです。
パジャマで外出する。家に入る時に靴を脱がない。お風呂でおしっこする。お祝いをいただいてお返ししない。
思いつく「普通」はどんなものでしょうか。なんとなく、「ルール」や「マナー」「常識」という言葉が浮かんできます。
「文化」「習慣」といい換えて良いものもあるかもしれません。
そして、「普通じゃない」を感じるというのは、自分が「普通じゃない」と思っていることを、他人があまりためらいなくやっていた時に起こったりします。
言い換えると、自分の普通と、他人の普通の間にギャップを感じた時、ということになるでしょうか。
うーん、いつまでもニワトリが先かタマゴが先か感をぬぐえない、、。
◆「普通」は変化する
「普通とは多数派の意見である」
こんな意見がありました。
確かに、そう言い換えることもできるようです。
「普通の人生」「普通の暮らし」などといった言葉は、時代や文化を映すものです。
大学に行って、就職して、結婚して、子供育てて、、。
多くの人がやっているから、「普通」。
そして、ご存知のようにその「普通」は住んでいる時代によっていかようにも変化します。
今時、大学でヘルメットかぶって棒を持ってうろうろしている人がいたら「普通じゃない」と思うでしょう。集まってラップで大合唱していても思うかも、、。
◆「普通」は自分が決めるのか、他人が決めるのか。
「普通の暮らし」や「普通の格好」といったものは、自分がそう感じるもので、「これは普通」、「これは普通じゃない」という線引きを行っています。
しかし、その線引きの背景には何かの価値観というか、判断軸があるはずです。
では、その「普通」の判断軸を左右する価値観は何か?ということになります。
誰が決めたものなのか?と言い換えることもできます。
それが「ルール」ならば、決めた人ははっきりしていることも多いでしょう。でも、マナー・習慣・文化のたぐいならば、難しいです。
まだまだ、続きますが、時間になりましたのでいったんこの辺で終わりたいと思います。続きは日を改めて。
では、また!