主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

オンライン哲学カフェ第23回「『普通』って何?」③

<普通でありたい人、普通でありたくない人>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。

 

今日は前回に引き続き、第23回「普通って何?」の振り返りを書いていきたいと思います。いい加減そろそろ終わります。

昨日の記事はコチラ。 

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

 

◆この日のテーマは「普通って何?」

前回まで書いてきたことは、

・普通は「普通でないもの」に出会った時に感じる。

・普通はルール・マナー・習慣・文化である

・普通は国・地域・時代、個人個人によって異なる

・普通は変化する

・普通は多数派である

・普通は全体最適のルール

・普通じゃないと思うのは自分の普通との他人の普通とのギャップ

・普通でありたい、普通でありたくない、両方の欲求 

 

◆普通でありたい、普通でありたくない

「普通でありたい」「普通でありたくない」という両方の欲が存在することについてが話題になりました。

「普通でありたい」は、コミュニティに属したいという欲求であり、コミュニティからはみ出すことへの恐怖です。

「普通でありたくない」は、個性を出したい、他人と差別化したい、自分の存在価値を高めたい、という欲求です。

 

どうしてこのような対立する価値観が共存しているのでしょうか?と思いましたが、どりたも生き残り戦術としては必要なもののような気がしますね。

しかし、人によってどちらが強いのが違ってくるということが興味深いですね。

 

あるメンバーが、不安感が強い人が「普通でありたい傾向」にあって、不安が少なくなると「普通でありたくない」と思いやすい、と言いました。

確かに全体主義的な考え方は世情が不安になった時に台頭してくるものですし、このコロナ禍においても、ルールからはみ出る者を許さない雰囲気が高まっているのも理解できます。

 

会社で働いていると、昇進していく人は会社のルールを守りながら個性を発揮していく、すなわち普通と普通じゃないの両方を発揮している気がするので、仕事をしていくうえではどちらが強すぎてもうまくいかないように感じますね。

 

◆普通を押し付ける人

「普通はこうするだろう」と言ってくる人がいます。

新入社員は誰よりも早く来て、上司が帰るまで帰らないのが普通だろう。

30歳にもなったら結婚して、子供を産んで、家買って、車買って。

 

まぁ、価値観を押し付けているだけだというと、それまでなんですが、この場合で言うと本人が持っているそれはある時代や場所での「標準的なもの」の組み合わせであったりするように思います。

 

と、ここまで書いてきて「普通」という言葉は別の言葉でどう言い換えられるだろうか、と改めて考えてみたのですが、、やっぱり「価値観」のようなものでいいんじゃないかなんて思いました。

時間や場所でいかようにも変化するもの。侵してはならない聖域なんてことはない。

 

◆終わりです。

とまぁ、「普通」というものを考えているだけで、2時間があっという間に過ぎていきました。

「普通」というのは、特に身近で普通に(!)あるものなので、みんな気軽に自分の体験として話すことが出来たのではないでしょうか。

 

哲学カフェというものは、対話から「得られるもの」も多いですが、それよりも「対話している時間そのもの」、普段あまり考えないことに頭を使って、別に役に立たなくてもいいおしゃべりをしている時間こそ楽しいものでもあります。

この日はそんな楽しさを特に感じた日であったな、と思いました。

 

では、また!

 

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