<人間拡張はどこまで進むのか?>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。
今日は昨日の続きで
「AIに何をしてほしいですか?何をしてほしくないですか?」
について書いていきたいと思います。
昨日の内容はこちら。
昨日書いた内容としては
・自分がやりくないことをやってほしい、やりたいことを邪魔しないでほしい。
・古来より技術を活用して面倒なことをうまく効率化してきた
・さまざまな選択をAIによる提案に期待することになりました。
・そこまでAIに体の動きを制御されて大丈夫なのか
・こうなってくると、自由な行動っていうのがどこまで制限されるのか
・人から言われるより、AIが言ってくる方が受け入れやすい?
◆人間拡張のテクノロジーはどこまでアリか?
この話題は私が他のメンバーの意見に興味がありました。
(AIというだけでなく、テクノロジー全般的なものとして意味が広がりますが。)
人間拡張というのは、以前から存在しているものもあります。
コンタクトレンズや補聴器というのは古典的なもので、近年では重いものを持てるようなパワードスーツと呼ばれるものが登場していますよね。
SFで考えると、妄想が膨らみます。
映画「マトリックス」では、「ヘリコプターをこれから操縦するから、マニュアルを脳にダウンロードして!」なんて場面がありました。
脳にチップを埋め込んで、コンピュータと連動させるというのもありますね。これは研究が進んでいるとか。
このようなテクノロジーの進化に対しては、メンバーからは
「好んで使うか使わないか、に関わらず、進んでいくのは避けられない」
「あえて使わないと、淘汰されるだろう」
というような意見が。
私は「仕事に対する考え方が変わるだろう」という気がしました。
AIやテクノロジーによって身体能力や知識などが補完されるとすると、個人の能力の差というものが無くなってくるでしょう。
今の仕事の多くは競争優位に立つことで利益を得るものであるから、その競争優位自体が無くなったら、自分たちの仕事は存在しなくなる、そんな気がします。
必要なものだけを必要な量供給することが仕事であって、そこに競争は存在しなくなりますよね。
「健康寿命が延びるなら、体の制御をコンピュータにある程度委ねてもいいのか」という問いもありますが、「もうすでにそれに近いことをしているんじゃないの?」っていう気もします。
どこまでが自然で、どこからが不自然かとか、の意見は今日はありませんでしたが、妄想しながらのそんな話がもっとできたら楽しいだろう、と思いました。
◆その他
その他、AIに関する話題として、
・自分の仕事がAIに置き換わったら?
・AIに代替してほしくない仕事
・AIと権力行使
・アイドルはAIでもいいのか?
・AIにもミスがある
など、楽しい話題で盛り上がりました。
これで今回のオンライン哲学カフェのレポートを終わります。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
では、また!