ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

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主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

「うしろめたさの人類学」 松村圭一郎

<これからの「安心できる場所」とは?>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

今日は、この本。 

うしろめたさの人類学

うしろめたさの人類学

  • 作者:松村圭一郎
  • 発売日: 2017/09/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

内容<amazonより>

第72回毎日出版文化賞<特別賞>を受賞しました!

市場、国家、社会...
断絶した世界が、「つながり」を取り戻す。

その可能性を、「構築人類学」という新たな学問手法で追求。
強固な制度のなかにスキマをつくる力は、「うしろめたさ」にある!
「批判」ではなく「再構築」をすることで、新たな時代の可能性が生まれる。

京都大学総長・山極壽一氏推薦!

世の中どこかおかしい。なんだか窮屈だ。そう感じる人は多いと思う。でも、どうしたらなにかが変わるのか、どこから手をつけたらいいのか、さっぱりわからない。国家とか、市場とか、巨大なシステムを前に、ただ立ちつくすしかないのか。(略)この本では、ぼくらの生きる世界がどうやって成り立っているのか、その見取り図を描きながら、その「もやもや」に向き合ってみようと思う。
――「はじめに」より

◆この本は

私たちが日ごろ感じている「モヤモヤ」「窮屈さ」の正体を人類学の観点から一緒に考えていきましょう、という本です。

 

ボリューム:★★★☆☆

読みやすさ:★★★★☆

納得感  :★★★★☆

自分も考える:★★★★★

 

◆内容と感想

筆者が進める「構築人類学/構築主義」という考え方は、本著の言葉を借りると、

「現在の息苦しさや生きづらさは、最初からそうなのではなく、構築されているとしたら、また構築しなおすことも可能である」ということです。

 

自分の解釈なので、間違っているところもあるかもしれませんが、簡単にまとめます。

 

現代社会においてのどこかモヤモヤした感じ、その原因のひとつとなっているのが、自己責任論から生じる分断。そこからさらに漠然とした未来への不安につながっていると考えられます。

 

しかしながらその分断が進む社会というのは、それ自体何かモンスターのように空中に存在するという物ではなく、あくまで個人と個人の関係性の結果構築されたものであって、文化(集団)が違えばその形は大きく異なるもの。

 

だから、この息苦しさを構築しなおすことも可能であり、そのためには、個人個人が分断を少しだけはみ出す試みをしてみよう、という結論になっています。

 

ここからは感想です。

 

そうであるとしても、そもそも「モヤモヤ」や「息苦しさ」というのは、いったいなんなのでしょう?具体的には、、

・政治家の言動が一般市民の感覚とかけ離れていると思う

・「働きすぎ」をやめられない

・社会に対する自分の無力感 

やはり、「分断」や「無関心」といったものが感じられます。

 

筆者はエチオピアにおいてのフィールドワークの中から、

「コーヒーを飲むときは絶対に誰かを誘う」という習慣を例に出します。

誰かと一緒に分かち合いたい(なければならない)という気持ちの強さのあらわれと思われますが、日本では(というか私は)それはいつもだったら面倒だなと感じます。

 

私がこの「面倒だな」という感情を抱くということは、分断とまではいかないまでも、ひとりでいること、ある程度関わり合わないことの快適さを知っているということではないでしょうか。

個人主義のもっと強い欧米ならまだしも、日本においても格差や分断が進んでいるということは、それは少なくない人々がそれを快適だと感じはじめているのだと思います。

 

結論として筆者がすすめる「分断からはみ出す試み」の前提とする「うしろめたさ」という気持ち。

無関心であることが「うしろめたい」と感じる気持ち。

そんな気持ちをひとりひとりが少しずつ持ち、日々実行に移せていたら、もう少し息苦しさとか、漠然とした未来への不安は軽減されるのでしょう。

それに関しては、ある程度納得できます。

 

しかしながら、筆者はあまり深く踏み込みませんでしたが、「うしろめたさ」は日本人にとっては、割と得意分野ではないかと思うんですね。

良くも悪くも、「同調圧力」とも言えるような「世間」とか「空気」というものの存在です。

就業時間を過ぎても、責任感から残業してしまう。自分の責任範囲を超えて抱え込んでしまう。そういった危険性もはらんでいます。

また、「村の掟」的な非合理的なルールに縛られてしまうことや、「おせっかい」といえるようなプライバシーへの配慮などは、過去と現在とでは大きく異なります。

 

そう考えていくと、これからの「分断を踏み越える試み」というのは、過去とは別なものになっていなくてはいけないと思います。

プライバシーに踏み込まずに、他人のことに気をかけられる、自分のことを気にかけてもらえる。

家庭でもない職場でもない、第3のコミュニティであるとか、広くいろんな属性の人びとが公共の場で、互いにざっくばらんに話をできたらいいですね。

 

筆者のエチオピアでのフィールドワークは非常に興味深いもので、私が忘れかけている人と人との心温まるふれあいを感じることができます。

 

この本には一応の結論は用意されいていますが、それよりも、最初に発せられる問いから、自分が筆者とともに一緒に考えていく、そんな読書の進め方を楽しむことができます。

そういう読書が好きな方には特におすすめですね。

 

では、また!