<「癒し反対理論」も万能ではない?>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。
今日は昨日の続きで
「癒し」
について書いていきたいと思います。
昨日の内容はこちら。
昨日書いた内容としては
・癒しは精神的・肉体的な回復
・快楽をともなう
・消耗したときに求める
・疲れている何かと反対のことをするのが癒し
◆ホメオスタシス
「癒しとは、疲れている何かと反対のことをする」
という意見が出たところで、いったんの着地点を迎えたような気がします。
肉体労働で体力を消耗したから、温泉で体を休める
PCで目を酷使したから、目を閉じて温める
喧噪の中で働いたから、自然の音を聴く
ずっと家に閉じこもっていたから、外で体を動かす
とまぁ、この辺はよく理解できます。
そこから、「仕事から帰ってきた夫は話をしたがらないのに、妻は話をしたい」という夫婦あるあるを思い出したメンバーがいました。
一日中仕事でいろんな人としゃべってきた夫は静かにゆっくりしたい、いっぽうで家であまり人に会わず働いた妻は、やっと帰ってきた夫と話をしたい、というやつです。
これも、「癒し反対理論」に基づくと理解できる気がします。
私は「ホメオスタシス」という言葉を思い出しました。
バランスを取ろうとする働きで、同じものばかり食べていたら飽きて違うものを食べたくなる、というやつです。
ひょっとしたら「癒し」はそういう本能的なところに関係しているんですかね。
◆人を傷つけることで癒される人、から広がる考え
少し穏やかでないですが、そんな人がいるのも事実です。
他人を支配することによって、欠乏した自尊感情を取り戻そうとしているのかもしれません。
そうだとすると、癒し反対理論に沿うものであるといえます。
SNS上で誹謗中傷を趣味にしている人もそうですね。
あと、自傷行為を癒しにする、そんな人もいます。こころの痛みを体の痛みで癒す、これは癒し反対理論ではうまく説明できないかもしれませんが。
そのあと、メンバーより、
「問題行動をとってしまうときは無理に反対のことをするより、いったん行動の事実を認めることが大切」
という意見があって、確かにそうだ、と思ったりしました。
問題行動には必ずその行動の原因となる背景があって、自分の中で蓋をしてしまっていたそれを認識することで癒される、ということがあります。
◆終わりです。
ここへきて、癒し反対理論が万能ではないとわかります。
そしたら、そこからどう考えていこう、、。というところで、時間となりました。
こうやって、肯定したり否定したりしながら、考えの上に考えを重ねていくこと、それが哲学カフェの楽しいところなんです。
「自分の意見は死守すべき宝ではなく、検討に値するひとつの可能性にすぎない」、という言葉が私は好きですが、そんなことを再認識しました。
簡単ですがこれで第28回哲学カフェのレポートを終わりにしたいと思います。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
では、また!