ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

読書・読書会・哲学・哲学カフェが好きな人間のブログ

主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

オンライン哲学カフェ第30回「プレゼント」①

<プレゼントはあまり楽しくない?>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。

今回は第30回となります。

  

前回の第29回「フィクション」の模様はこちら。 

chikuwamonaka.hatenablog.com

  

◆「哲学カフェ」とは?

哲学カフェとは、おもに身近なことがらについて、みんなで自由に意見を出し合う対話の場です。

ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話しをしているわけではなく、「『普通』って何?」だとか、「『苦労』は買ってでもしたほうがいいの?」だとか、誰でも身近にありながら、答えがなかったり人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えない話題についてじっくり語り合うという活動です。

 

◆今回も「Zoom」を使いました

今回も前回同様、「Zoom」を使用。

「Zoom」とはオンライン会議アプリで、「skype」をイメージしていただくと大体そんな感じで、とても使いやすいテレビ会議アプリです。

 

主催が会議を「○○日の●時~●時」とスケジュール設定すると、「会議ID」が発行され、参加者はPCのZoomホームページやスマホアプリから、その「会議ID」を入力するだけで、アカウントを作る必要も無く、簡単に参加できます。

  

◆この日のテーマは「プレゼント」

この日の参加者は10名。時間は2時間です。

 

オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、1人ずつしゃべる方式にしています。

しかしながら一部の人しか画像を映していないため、挙手が見えないので、発言したい人は「ハイ○○です。」と言い、進行役が指名するという感じにしています。

(画面を見ていると誰がしゃべったか大体わかるんです)

 

今回の進行役も、いつも通りひじき部長に務めていただきました。

私は、ZOOMのチャット画面にメモを残していく書記係を担当しました。

この日のテーマも、メンバーの推薦により選ばれた

 「プレゼント」

です。

  

 では、実際出てきた意見と感想を簡単に書いていきたいと思います。

 

◆もらって嬉しかったプレゼントは?嬉しくなかったプレゼントは?

まず、とっかかりとして、各自のプレゼントにまつわる「思い出」を語ってもらうような問いから始まりました。

 

その中で、「自分が選ばないようなものをもらったとき」や、「予期しなかったものをもらったとき」という意見がありました。

 

これはどういうことでしょうか?

 

プレゼントをもらったり贈ったりするのは、多くが誕生日やクリスマスなどのイベントの時。そしてそういう時にはプレゼントをあげることが決まっていて、事前に「何が欲しい?」という聞き取りがあったりもします。

 

「自分が選ばないようなものをもらったとき」と言った方は、そんな事前聞き取り制度に違和感を抱いているといい、「そんなのは、金銭のやり取りと同等ではないのか?」と批判します。

 

この方は、プレゼントは相手のことをしっかり観察してこそであり、「プレゼントは真剣勝負である」という本日の名言を残したのでした。

 

◆プレゼントは案外嬉しく(楽しく)ない?

この日多くの人がそうだなと感じたことに、

「プレゼントは相手のことをどれだけ観察しているかが試されている」ということでした。

 

「近しい人からもらったが、気に入らなかったプレゼントは、始末に困る」

 という意見もありました。

 

「プレゼントは相手に喜んでもらわないといけない」という暗黙の前提があるように思うと、それがプレッシャーになります。

 

この日の出席者で想像以上に多くの人から「プレゼントはそんなに好きではない」という言葉が出てきたのもそんな背景があるのでしょうか。かくいう私もどちらかというと面倒に感じてしまうほうなんですけどね。

 

形式ばかりで実を伴わない「虚礼」という言葉がありますが、お歳暮や年賀状などは一定のルールがあって、定番というものにある程度従っていれば、淡々と進められるのに、プレゼントとなるとなかなか面倒なものですね。

 

◆プレゼントと金額

「プレゼントに『金額』はどれほど関係しますか?」という問いが進行役よりありました。

良くも悪くも現代はどんなものでも金額がすぐにわかってしまいます。

 

「どれだけ自分のことを観察してくれているか」という指標があるいっぽうで、「金額」という指標も厳として存在します。

 

「金額が高い、というのは自分が汗水たらして稼いだお金をつぎ込んでいるから、それだってりっぱな気持ちの表れ」

という意見がありましたが、確かにそういうとそうなのかもしれませんね。

 

でも、付き合いだして日が浅い人からクリスマスプレゼントに30万円のアクセサリーをもらったら「え?」ってなると思いますし、逆もあるでしょう。

 

「相場」と言ってしまえばなんだか取り引きみたいですが、シーンによってある一定の金額のルールというかマナーがあるというのも事実です。

 

先述の歳暮ギフトなどは、「K-30」なんていうふうに、金額がわかるように商品に記載されていたりするものもあります。

(これなんかは、「お返し」があることを前提に記載されているんでしょうね。)

 

◆プレゼントと「お返し」

「お返し」という言葉が出てきましたが、プレゼントにはお返しがつきものです。

 

「あげたくてあげたプレゼントなのに、どうしてお返しで悩ませなくちゃいけないんだ?」という意見もありましたが、この「お返し」について考えてみることで、プレゼントの本質が見えてきそうです。

 

そしてここから一気に、哲学カフェっぽく進んでいくのでした。

 

哲学カフェはまだまだ続きますが、いったん時間となりましたので続きは日を改めて書いていきたいと思います。

 

では、また! 

 

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