主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

オンライン哲学カフェ第30回「プレゼント」②

<プレゼントは「貸し借り」と「埋め合わせ」>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。

今日は昨日の続きで

「プレゼント」

について書いていきたいと思います。

 

昨日の内容はこちら。 

chikuwamonaka.hatenablog.com

  

昨日書いた内容としては、以下のようなものです。

・もらって嬉しかったプレゼント、嬉しくなかったプレゼント

・プレゼントは案外嬉しくない?

・プレゼントと金額

・プレゼントとお返し

 

◆プレゼントと「お返し」

昨日はプレゼントと「お返し」について考え始めたところまで書いてきました。

この「お返し」というものを考えたところで哲学カフェは一気に深まったような気がしました。

「お返し」には様々な形があります。

 

代表的なのは、結婚式の引き出物や香典返し、中元歳暮の贈り合い。あげることもルールになっていれば、お返しさえもルールになっています。これに疑問を抱いたことのある人は多いはず。

 

では、誕生日プレゼントは、もらいっぱなしかと思いきや、もらった相手の誕生日に贈り返さなければいけません。

 

果たして、お返しのないプレゼントというのはあるのでしょうか?

そんな問いがでてくるんですね。

 

「お礼のプレゼント」について話が広がります。

送り迎えしてくれた人にお菓子を渡す、友人宅に遊びに行くときにお土産を持っていく。

これはどういうことでしょうか。

これは、車に乗せてもらうとか、お宅にお邪魔する、といった行為に対してお礼に品物をプレゼントする、ということのようですね。

 

「釣り合いを取る」という言葉が出てきましたが、「品物→→品物」だけではなく、「行為→→品物」というプレゼントの構図がそこにはあるようですね。

 

◆プレゼントと「貸し借り」

ここで、「貸し借り」というワードが登場しました。

 

プレゼントには貸し借りを作るという側面があるようです。

というか、「プレゼント自体があまねく貸し借りの行為」であると言ってもいいという発言もありました。

 

引き出物も、誕生日プレゼントも、お持たせも、お礼のお菓子も、ほかの何かの貸しを埋めたり、借りを作ったりする行為であると考えると、すべて説明がつくような気がします。

 

帰り道に、子供が好きなキャラクター菓子の新商品を見つけて「純粋に喜ばせたいだけ」と買ったギフトはどうでしょうか。

これは、お返しを求めていないように見えますが、これもし子供が全然喜ばなかったらがっかりしますよね。これは「ヤッター、ありがとう!パパ大好き」という「感謝」を期待しているからと言えないでしょうか。

「もらいっぱなしは『負い目』を生じさせる」という意見もありました。これなんかは貸し借りの側面を突いているような気がします。

 

そこから、「メールの送り合いは止め時が難しい」などの話に広がっておもしろかったです。

 

◆終わりです。

「虚礼文化」と呼ばれるものがります。歳暮中元や年賀状、現代において、無くなってもそこまで困らないけど、過去からの継続でやっていること。

これなんかは若い世代では実際ほとんど行われなくなりました。

 

形式的な「プレゼント」は減少し、もっと相手にあったプレゼント、シーズンイベントにとらわれず、本当にあげたいと思ってあげるカジュアルなプレゼント、そんなプレゼントが増えているという話も聞きますが、なんかやっぱりそのほうがいいですよね。

 

これを書いていて思いつきましたが、「観光のお土産」なんかを考えても面白そうですね。

 

そのほか、「プレゼントにおける男女の意識の差」や「日々のあいさつぐらいのカジュアルなプレゼントもあるよね」なんかの話もありましたね。

 

今回もざっくばらんに盛り上がった哲学カフェとなりました。以上で今回の哲学カフェのレポートを終わりたいと思います。

 

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

 

では、また! 

 

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