<全体の存続は、個々の犠牲のもとに>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
今日は、昨日に引き続き、この本の感想を書いていきたいと思います。
◆昨日までに書いたこと
・「反脆弱性」とは衝撃を糧にして成長する性質
・革命や進歩は「反脆弱性」が担っている
・一定量の負荷が、人や組織を却って強くする
・過度な計画は脆弱性を招くので危険
・リスク管理は、大きすぎるリスクだけ回避する
・オプションを活用し、損害は小さく、利益は大きく
さまざまな大小のリスクに対し 、どう関わっていくのが繁栄進歩に対し合理的か、具体的な例を出しながら紹介してきました。
今日は最後に、反脆弱性の考え方に対する感想を書いていきたいと思います。
◆全体の繁栄は個々の犠牲のもとに
この本で繰り返し述べられていることの一つに、
「全体の繁栄のためには、個々の犠牲が欠かせない」
ということがあります。
これは、シンプルでありますがなかなか強烈なメッセージで、ややもすると不都合な表現となりそうなものをはっきり言い表しています。
いろいろ、具体例を出しながら、考えてみます。
例えば、「企業のイノベーション」。100個の失敗を経た1個の成功があって、企業は息を吹き返します。失敗する100個のスタートアップがあって、運よく成功できた1個が技術を革新させます。
逆に、上層部がずっと変わらない会社はどうなるでしょうか。古い価値観が停滞し、周囲の競争に対して脆くなりますよね。組織という上位概念を維持するために、社員という個々の入れ替わりが欠かせないということになります。
画一化よりダイバーシティを、という理由はこういうところにあります。
「戦争」はピラミッド構造でわかりやすいかもしれません。国という上位概念が勝利するために、中隊・小隊といった構成要素を配置し、一定数の犠牲を払いながら、進めていきます。
戦術的に誰かを生かすために、あるいは突破口を開くための切込み舞台として、捨て石となる人が欠かせません。逆に「誰一人死なせない」と考えてしまうと、立てうる戦術が限られてくるでしょうね。
では「自分」ひとりについてはどうでしょうか。自分という1個の人体が生きるために、数えきれない細胞・器官が新陳代謝というものを行っています。古い細胞を死なせ新しい細胞を作り続けています。同じ自分であっても半年もたつとほとんどの細胞が入れ替わっているといいますから。
では「人類」というふうに概念を上げてみるとどうなるでしょうか。人類の進歩繁栄のためには、個々の犠牲が欠かせません。個々の寿命はもちろんのこと、生命力による自然淘汰もありながら、人類は続いていっています。
では「地球」はどうでしょうか。地球には生き死にという概念はもはやないかもしれませんが、地球の自然環境の存続という観点でいうと、人類が繁栄しすぎないほうが良いように思えますよね!
こうやって、「全体の存続のためには個々の犠牲が欠かせない」というルールはあらゆる場面で適用されるように思います。
これは、過去に読んだ「生物と無生物のあいだ」の「動的平衡」を思い出します。
「生きものはみんな、一定の形にとどまっているように見えても、中身は頻繁に入れ替わっている」という考え方です。
<過去記事はこちら>
日々、さまざまな嫌なことがあります。
でも、この反脆弱性や動的平衡を思い出すことができれば、
「まぁ、そういうもんだよね」と、感情を収めることができると思います。
また、安定と負荷について、その価値観を改めることにより、
日々の行動にも変化が起きると思います。
そんな、私の考えの世界をまた広げてくれる本になりました。
しつこいようですが、分厚いので、読まれるときは覚悟して!
(自分も下巻を読もうかどうか、やめようか)
では、また!