<子どもが「プロゲーマーになりたい」と言ったら?>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。
今日は昨日の続きで
「ゲーム」
について書いていきたいと思います。
昨日の内容はこちら。
昨日書いた内容としては、以下のようなものです。
・「ゲーム」というのを成立させる要素とは?
・あなたはどういうゲームをしていて、それは何のためにしていますか?
・ゲームは楽しいものである、娯楽である
・勝ち負けや、記録への挑戦するものである
・誰か他人と一緒にやったり、一人でもできる。
・何らかのルール(レギュレーション)の中でやること
・目標が設定されている
・何らかの報酬が得られる
◆なぜゲームは敵視されるの?
なぜ、ゲーム(主にテレビゲーム)は敵視されるのだろう?
という問いがメンバーから出てきました。
親が子どもに「ゲームばっかりしてないで、宿題しなさい!」というのは、ゲームに中毒性があるということです。
ゲームばっかりしていると、宿題しません。はい。
ゲームはやめられないようにわざわざ設計されていますから、これはわかります。
しかし、「ゲームばっかりしてないで、外で遊んできなさい!」というのは、どうでしょうか。この逆はあまり聞いたことがありません。
これは、ゲーム=不健康、外遊び=健康 というイメージがあるからでしょうか。
では、子どもが「将来はJリーガーになりたい!」とサッカーに熱中するのと、「将来はプロゲーマーになりたい!」とゲームに熱中するのを比較すると、ほとんどの親は前者のほうを応援するのではないでしょうか。
これは前述の健康面に加え、職業的地位のようなものが親の中にある、という意見がありましたね。
ゲームには生産性がない。という意見もありました。これは、「遊びに生産性を求めるか」という別の議論も招きそうですね。親世代になると、忙しい時間が増え時間の希少性が高まってくるので、どうしても「時間の浪費」と考えてしまうのかもしれません。そんな自分たちが子どもの頃ゲームに没頭していたことは置いといて。
「いつの時代も、新しいものは批判されがち」と解説したメンバーがいましたが、それもひとつの答えかもしれません。
自分が経験したことのない、新しい価値観は受け入れがたいものです。
◆ゲーミフィケーション
最後になりますが、「ゲーミフィケーション」という話題が出ました。
これは、「何かをゲーム化する」という意味なのですが、日常的ななんでもないこと、特につまらない作業なんかを、モチベーションを上げて楽しく取り組めるようにしようとすることですね。
・家事や仕事に、タイムアタックを設ける
・パズルのように美しく整理する
・報告書に「今日は四字熟語を入れる」などの遊びテーマを設定する
など色んなエピソードが出てきましたが、ここから考えられることはどういうことでしょう。
「日常的行為にわざわざルール・目標を設ける」ということになります。
ということは、ゲーミフィケーション(ひいては、ゲーム)の本質はやはりルール(規制)や目標(勝ち負け)の設定ということになりそうです。
そして、そこから何らかの報酬を得て楽しんでいるということになります。
報酬としては、達成したときの達成感という意見と、そのことにチャレンジしている最中が楽しいという意見もありました。
ここで、哲学カフェは時間となりました。
ゲームについて、エピソードを交えながら、本質を探っていくという作業としてはもうちょっと時間が必要だったかもしれませんが、いつもの「それは宿題」ということで、この日も楽しい時間を過ごすことができました。
こにて第31回オンライン哲学カフェのレポートを締めたいと思います。ありがとうございました。
では、また!