主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

オンライン哲学カフェ第33回「火の鳥 異形編」②

<「火の鳥」の立ち位置って?>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。

今日は昨日の続きで

「火の鳥 異形編」

について書いていきたいと思います。

 

昨日の内容はこちら。 

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

昨日書いた内容としては、以下のようなものです。 

・結局、左近介の罪は赦されたのか?

・「無限ループ」に関しての考察(仏教、永劫回帰)

 

◆可平という存在

主人公の左近介が寺に閉じ込められたとき、お供の「可平」も一緒に閉じ込められてしまいます。

「30年の幽閉を共にした、この可平という存在はどういう意味を持つのだろう?」

という問いがありました。

 

「左近介と対比して、とても人間らしい存在」という意見がありました。

治療に訪れる妖怪に対し恐怖で動けなくなったり、30年後に脱出する際に左近介に「どうして行かないのか」と詰め寄ったり。

 

確かに可平という人間らしい存在が、左近介の変化をうまく際立たせているように思えます。

 

◆八百比丘尼を殺した罪はそんなに重いのか?

「八百比丘尼を殺して、執行猶予30年のち結局死刑は重すぎないか?」

という意見がありました。

確かに、、。

 

「理由はどうあれ、目の前の人を殺すことは絶対にいけないという著者のメッセージ」

という意見がありました。

 

確かに、「妖怪化人間かで区別してはならない」というのもありましたし、強いメッセージ性のある漫画だという印象を受けます。

 

また、父親や、そのほかの兵士を助けないシーンは「戦争はどうあってもいけない」というメッセージを感じます。

そのあたりの話題も出てきました。

 

◆結局、「火の鳥」の存在とは?

自分は火の鳥を読むのは今回が初めてでした。これ以外のエピソードは読んでいません。

他メンバーにも同様の意見があり、夢の中に登場して主人公を救ったのかどうかわからないこの「火の鳥」という存在はシリーズの中でどのような位置づけなの?という疑問がありました。

 

今後、他のエピソードも読んでみたいのですが、「きっかけは与えるけれど、最後は自分の問題だよ」というどこか突き放したような存在であるような気がしました。

ネガティブにいうと、「笑うせぇるすまん」や「銭天堂」のような、、。

 

◆終わりです。

とても短い漫画ですので、2時間持つか、と思いましたが、「時間が足りないぐらい」というメンバーもいたように、とても内容の濃い哲学カフェになったと思います。

このほかにも、紹介しきれていない多くのトピックが出てきました。

 

「左近介が結局赦されたのか?」に関しての問いは、まだ続いたままになっていますね。

個人的には、「左近介が『赦されるかどうか』という他人目線で行動を考えるのをやめた」ということなのかな、と考えるに至っています。

 

以上で、今回の哲学カフェのレポートを終わりにしたいと思います。

ありがとうございました。

 

では、また!