ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

読書・読書会・哲学・哲学カフェが好きな人間のブログ

主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

オンライン哲学カフェ第35回「ハラスメントと我慢」①

<双方の価値観が摩擦を起こしている>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。

今回は第35回となります。

  

前回の第34回「競争」の模様はこちら。 

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

◆「哲学カフェ」とは?

哲学カフェとは、おもに身近なことがらについて、みんなで自由に意見を出し合う対話の場です。

「哲学」と書いていますが、ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話はほとんどしません。

私たちの哲学カフェで扱っているテーマは、「『普通』ってどういうこと?」だとか、「『自己責任』って結局何なの?」だとか、身近にありながら、答えがなかったり、人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えたりあまりしない話題について、じっくり語り合っています。

当哲学カフェはいわば「日常生活を哲学する」ことを目指しています(今のところ)。

 

◆今回も「Zoom」を使いました

今回も前回同様、「Zoom」を使用。

「Zoom」とはオンライン会議アプリで、「skype」をイメージしていただくと大体そんな感じで、とても使いやすいテレビ会議アプリです。

 

主催が会議を「○○日の●時~●時」とスケジュール設定すると、「会議ID」が発行され、参加者はPCのZoomホームページやスマホアプリから、その「会議ID」を入力するだけで、アカウントを作る必要も無く、簡単に参加できます。

  

◆この日のテーマは「ハラスメントと我慢」

この日の参加者はのべ9名。時間は2時間です。

 

オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、1人ずつしゃべる方式にしています。

しかしながら一部の人しか画像を映していないため、挙手が見えないので、発言したい人は「ハイ○○です。」と言い、進行役が指名するという感じにしています。

(画面を見ていると誰がしゃべったか大体わかるんです)

 

今回は、いつも進行役をお願いしているひじき部長が都合によりお休みのため、私が進行役兼書記役を務めさせていただきました。

 

この日のテーマも、メンバーの推薦により選ばれた

 「ハラスメントと我慢」

です。

そもそも「相手が嫌がることをする」のがハラスメントであるということなのですが、どっこい一筋縄ではいかないのが、このテーマの興味深いところかなぁと思います。  

では、実際出てきた意見と感想を簡単に書いていきたいと思います。

 

◆価値観の押し付け?

ハラスメントとして真っ先の思い浮かぶのが、「セクハラ」「パワハラ」の両巨頭になりますが、そのほかに「モラハラ」「アルハラ」「マタハラ」「スメハラ」など、どんどん新しいものが生まれていっている印象があります。

 

「キメハラ」なるものを紹介されたメンバーがいましたが、まずはそこから哲学カフェが展開していきました。

「キメハラ」というのは、人気漫画「鬼滅の刃」を話題に出し、興味のない・観ていない相手に「どうして観ていないの?」と詰め寄るという、なかなか局地的なハラスメントとのことのようです。

 

直近では「オリハラ(=オリンピック・ハラスメント)」というのもあったようで、これは「キメハラ」とほぼ同義でしょう。

 

このエピソードにおけるハラスメント(嫌がらせ)は、「興味のない相手を非難する」「嫌がる相手に無理に薦める」といったことでしょうか。

ここで、加害者(と、いうことにしましょう)としては、「鬼滅を観てないなんてもったいない、観るべきだ!」というおせっかいな気持ちもあったかもしれません。

 

でも、興味のない被害者(と、いうことにしましょう)は、ありがた迷惑なわけです。

言い換えれば「価値観の押し付け」という構図になります。

 

この構図を、別のケースに置き換えるとどうでしょう。

たとえば、代表的ともいえる職場での「おじさんから女性社員へのスキンシップ」という事例ではどうだろう、という検討に移りました。

 

昨今ではほとんどセクハラになるんですが、おじさんの言い分として「自分が若い頃は、こんなの普通だった」となるんですが。

 

ノルマ未達のために部下を夜遅くまで帰さないとか、きつい言葉を浴びせるとかいった「パワハラ」に対しても、同様の「昔はなぁ、、」という言い分が聞かれます。

 

上記のエピソードにしても、おじさんのほうでは、「その行為で嫌がらせをしていると思っていない」が、若手のほうでは「その行為で嫌な思いをした」となっています。

 

であるとするならば、ハラスメントは、

「加害者側と被害者側の双方の価値観において、摩擦が生じたところに生じる」

というひとつの道が見えてきました。

 

その価値観というのは、時代や地域によって異なってくるものになります。

なので、世代によって変化しやすい価値観のもとで、「これだからハラスメントだ」という定義づけをあまねく浸透させることは難しい、と言えるのではないでしょうか。

 

◆ハラスメントが成立するには?

ハラスメントについて感じている印象としての意見で、

「なんでもかんでも『ハラスメント』として禁止されると、やりにくいなぁ」

という意見がありました。

 

これは、今まで知らずのうちに傷つけてきた人に、気付かせるという側面ではポジティブなのですが、そういうものを超えて、「過剰反応的」なものもありはしないでしょうか、ということですね。

職場でちょっと上司にきつく叱られただけで「パワハラだ」といったり、外見に対するなにげない発言(髪切った?)なども、セクハラと言われたり、、。

 

これって、どこからがハラスメントで、どこまでがハラスメントでないの??

というのは、素朴な問いとして挙がってきます。

 

◆まだまだ続きます。

今回の哲学カフェは早い時間から盛り上がってきましたが、まだまだ序盤戦。

 

このあと、もう少し「どこからがハラスメントなのか問題」について議論があり、 

 「ハラスメントだと言いにくい問題」だとか、「どうしてハラスメントをしてしまうのか問題」などなど、引き続き盛り上がっていきます。

 

哲学カフェはまだまだ続きますが、いったん時間となりましたので続きは日を改めて書いていきたいと思います。

 

では、また! 

 

f:id:chikuwamonaka:20210822212042p:plain