主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

オンライン哲学カフェ第35回「ハラスメントと我慢」②

<境界線は誰が決める?>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

 

私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。

今日は昨日の続きで

「ハラスメントと我慢」

について書いていきたいと思います。

 

昨日の内容はこちら。  

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

昨日書いた内容としては、以下のようなものです。 

・ハラスメントは価値観の押し付け

・世代や地域などで相手との価値観が摩擦を起こす

・過剰反応ってあるよね

  

◆どこからがハラスメント?

「ちょっとしたことでハラスメントって言われると、もう何も言えないし、できないじゃないの」って言うのはよく聞きますし、この日のメンバーからも出てきました。

では、どこからがハラスメントで、どこまでがハラスメントじゃないんでしょうか?

そんな問いが出てくるのは当然です。

それを考えるには、「境界線は誰が決めるのか?」ということを考える必要がありそうです。

 

ハラスメントの構造は、2人の間に発せられたある言葉・行動があって、それを一方(加害者)がハラスメントと思っておらず、もう一方(被害者)がハラスメントと思った、ということになります。

 

しかし、「勤務態度が不良だから叱った」など、その行動や発言内容が一般常識に適っており受け取る側の過剰反応では?ということもあります。

 

受けるほうがただ「不快だ」と思っただけでは、ハラスメントとして成り立たないということは言えるはず。

 

ここではその基準というのは、「一般常識」ということになります。

 

「一般常識」っていうのは、別の言葉で言いかえると、「その価値観に対し多くの人が支持している」ということになります。

 

労働基準法やパワハラ防止法などに明文化されている場合も、「一定の人が支持したから」結果として法整備されたことになります。

 

◆「ハラスメントだ」と言いにくい問題

「ハラスメントは被害者側からは言い出しづらい」

というような意見が多く出てきました。

 

パワハラやセクハラをするのは、企業であれば多くの場合上位者が部下や若手の同僚に対し行われます。

 

部下から上司への逆・パワハラなんかもあるようですが、これもある意味中間管理職の上司(=言い返せない)に対して力のある部下が行うのもなので、力関係というのがあると思います。

 

どうやらハラスメントと力関係はセットにあるようですね。

 

確かに、その場でみんな「それは不快です!」と言えれば、ハラスメントにはならないかもしれないです。

 

だからこそ、ハラスメントとしての定義づけ(支持)や、法整備などは必要だ 

という意見もありました。 

 

「第三者の存在があれば変わる」

という意見も。政治家のセクハラ発言なども、指摘する声があって、市民の間で盛り上がって初めて謝罪する、ということがよくあります。

 

◆どうしてハラスメントが起こる?

「では、どうしてハラスメントをしてしまうの?」

という問いも起こってきます。

「○○してはいけないとは思っていなかった」というのはわかりましたが、そのおおもとにあるのは何でしょう。

 

「コミュニケーション能力の不足」

という意見がありました。これはなるほど、です。

他人とのかかわりの中で、思い通りにいかない時、暴力や脅しによって人を動かそうとする。そんなパワハラ(体罰というのもありますね)の一因になっていると思いました。

 

「自分の立場を守るため、嫉妬心」

という意見もありました。

これはどういうことでしょうか。

 

もうちょっと書いていきたいですが、いったん時間となりましたので続きは日を改めて書いていきたいと思います。

 

では、また! 

 

f:id:chikuwamonaka:20210822212042p:plain