主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

オンライン哲学カフェ第36回「推し」①

<「推し」と「好き」の違いは?>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。

今回は第36回となります。

  

前回の第35回「ハラスメントと我慢」の模様はこちら。

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

◆「哲学カフェ」とは?

哲学カフェとは、おもに身近なことがらについて、みんなで自由に意見を出し合う対話の場です。

「哲学」と書いていますが、ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話はほとんどしません。

私たちの哲学カフェで扱っているテーマは、「『普通』ってどういうこと?」だとか、「『自己責任』って結局何なの?」だとか、身近にありながら、答えがなかったり、人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えたりあまりしない話題について、じっくり語り合っています。

当哲学カフェはいわば「日常生活を哲学する」ことを目指しています(今のところ)。

 

◆今回も「Zoom」を使いました

今回も前回同様、「Zoom」を使用。

「Zoom」とはオンライン会議アプリで、「skype」をイメージしていただくと大体そんな感じで、とても使いやすいテレビ会議アプリです。

 

主催が会議を「○○日の●時~●時」とスケジュール設定すると、「会議ID」が発行され、参加者はPCのZoomホームページやスマホアプリから、その「会議ID」を入力するだけで、アカウントを作る必要も無く、簡単に参加できます。

  

◆この日のテーマは「推し」

この日の参加者はのべ6名。時間は2時間です。

 

オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、1人ずつしゃべる方式にしています。

しかしながら一部の人しか画像を映していないため、挙手が見えないので、発言したい人は「ハイ○○です。」と言い、進行役が指名するという感じにしています。

(画面を見ていると誰がしゃべったか大体わかるんです)

 

今回は、いつも進行役をお願いしているひじき部長が都合によりお休みのため、私が進行役兼書記役を務めさせていただきました。

 

この日のテーマも、メンバーの推薦により選ばれた

 「推し」

です。

「推し」というと、20年の芥川賞作品「推し、燃ゆ」にイメージされるように、アイドルの追っかけを想起してしまいますが、

自分の生活の大部分を捧げられるほど「推し」を「推す」心理の背景というのはどんなものなのでしょうか??

 

では、実際出てきた意見と感想を簡単に書いていきたいと思います。

 

◆「推し」と「好き」の違いは?

流行語として使われている「推し」とは、そもそもいったいどういう状態なのでしょうか?

 

「推す」は「PUSH」の意味がありますから、それをPUSHする=オススメするというのが一般的な意味。

 

現代的な「特定の人やものにハマり、応援する」という使い方、特に「私の推し○○」という使い方はAKB48総選挙あたりから使われるようになっているとのことです。

 

しかし、特定の人や物を応援するという意味では、○○ファンというのとはどう違うのでしょうか?

タイガースファンでいつもサンテレビを観ています! だとか、趣味は釣りで月2回は行ってます!というのは、「推し」とは違うのでしょうか?

 

まずメンバーから出てきたのは「広めようとする」という意見です。

「こんな素晴らしいものがあるのに、みんな知らないなんてもったいない!」

もっと知ってほしい!という情熱は「薦める」という活動につながります。

 

これを「布教活動」と言ったメンバーがいましたが、そこから、「推しって宗教みたいだね」という話に。

確かに、「推し、燃ゆ」にも、「推し」は「好き」ではなく、「尊い」という表現を使っているように、「推し」は宗教における「神様」に通じるところがあるようですね。

 

この後、推しについて「生活に張り合いを与えてくれる存在」「自分で立って歩くための支え」という意見が出てくるのですが、考えてみれば、これも宗教とことごとく似ているところがあるなぁと改めて思いました。

 

◆「推し」に課金する心理

「布教活動」に次ぐ、もうひとつの特徴的な活動として、「お金をつぎ込む」というというのがあります。

単に応援する、と「推し」を分ける重要なポイントのような気がしました。

 

遠方のコンサートに宿泊して参加する「遠征」、握手券を求めてCDを大量購入、グッズのコレクション、、。

日常的な感覚から逸脱したお金の使い方をしてしまう心理とはどういうものなのでしょうか?

 

「それはお布施」という宗教的意見がまたまた登場します(笑)。

 

寺社への寄付寄進で考えるとすれば、社会奉仕の側面では「世の中がうまく回るよう」、スピリチュアルな意味では「平和で、健康で、末代まで繁栄しますように」という思いがあります。

 

これをアイドルに置き換えると、自分の推す○○ちゃん(君)が、「アイドルとして自分の前に居続けてくれますように」という願いになるでしょうか。

タカラヅカファンから聞いたところでは、「親になった気持ち」という表現もありました。保護者としてのお金の使い方といえば、なんとなく理解できるかもしれません。

 

このようなお金の使い方はいずれにしても「直接的な見返り」を求めているものではありません。この辺も詳しく検討する余地はありそうです、。

 

「テーマパークに行った時のような金銭感覚マヒ」とか「競い合うようにお金を使ってしまう」というような、貴重かつ少々危険な意見も聞くことができました。

 

◆「推し」がいる人は輝いている

「ひとつのことにのめり込める人は羨ましい」

という意見も複数から出てきました。

確かに、周囲から見ると眉をひそめたくなる行動もありますが、当の本人たちはほとんどが一生懸命で幸せそうに見えるものです。

 

この辺の心理について、続いて書いていきたいと思います。

 

哲学カフェはまだまだ続きますが、いったん時間となりましたので続きは日を改めて書いていきたいと思います、

 

では、また! 

 

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