<ひとつの「ほんとうの自分」は存在しない>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
今日は、この本。
内容<amazonより>
◆この本は
ボリューム:★★☆☆☆(新書サイズ)
読みやすさ:★★★★☆(読みやすいです)
気付き学び:★★★★★(考えが広がっていきます)
役立ち度 :★★★★★(人間関係を考える新しい軸ができました)
「マチネの終わりに」「ある男」「本心」、数々の傑作を送り出している平野啓一郎さん。その作品の根底にある一つの考え方、「分人主義」。
それは、「ほんとうの自分」とは何なのか?という問い自体を覆してしまいます。私にとって、正解のない「自分とは何か」への問いに対し、考えを大きく広げていく新説であることは間違いありません。
◆内容紹介・感想
「よそ行きの顔」
「あいつ、猫をかぶっているから」
「あなたにだけは、本当の自分を見せられる」
よくある表現ですが、これは、「ほんとうの自分(中心)」と「他人に接する顔(仮面)」の二重構造になっているという固定観念を前提としています。
筆者がここで説明する「分人主義」は、それとは一線を画す人間観で、
「そもそも『ほんとうの自分』という1つの人格は存在しない」
という考えになります。
そして、それぞれの個人に対するときに現れる自分を「分人」と定義し、それぞれの「分人」が、その人に対する「ほんとうの自分」ということになります。
自分なりに図にしてみたのが、こちら。
「従来の姿」では、「ほんとうの自分」が自分の根幹として存在し、心を許せるごく限られた他人にだけ見せることができ、その他多くの人は、その人ごとに作られた「仮面」を取り換えている、という構図になります。
対して「分人主義」では、他人ごとに存在する「分人」という存在がすべて「ほんとうの自分」であり、自分とは、「分人の集合体」であるということです。
そして、それぞれの「分人」が互いに影響し合って、現在の「自分」というものを形作っている、ということになります。
ここで重要なことは、「自分」というものの正体は、「ほんとうの自分」というような、単体として動じない存在ではなく、「それぞれの対人関係のあいだでしか存在しえないもの」ということです。
これはどういうことかというと、「自分」はひとりでは絶対に存在しえない、ということ。
自分にとって、これはなかなかの発想の転換でした。
このような概念だけでは分かりにくいと思いますが、日常のエピソードとともに分人主義的解説が紹介されていますので、読み進めていくうちに、理解と納得が進んでいきます。
そのあたりは日を改めて書いていきたいと思います。
続きあります!
では、また!