<数字の「魔力」>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。
今日はおとといの続きで
「お金」
について書いていきたいと思います。
おとといの内容はこちら。
おととい書いた内容としては、以下のようなものです。
・宝くじで10億円当たったら幸せになれるか
・お金が無いと選択肢が狭まる
・お金は交換手段で、大切なのは使う先のこと
・お金は無いと不安になるのはなぜ?
・お金に対する知識があれば不安は少ない
◆数字の魔力
「通帳の数字が増えていくこと自体に快楽を覚える人」
もいるのでは?という意見がありました。
これは、なんとなく共感できます。
オンラインで株やFXをやっている時は、自分にとってお金は交換手段という概念を超えて、そのものを「増やすことを楽しむゲーム」になってしまっています。
この現象は、なぜ起こるのでしょう?
先述のように、お金はあらゆるものに交換できるから、それ自体が「力」になる。だからお金を貯めること=自分の力が高まる、という万能感得たさという側面は大きいです。
そのうえに、メンバーの話を聞いていて思ったことが、「お金が数字であることの魔力」でした。
お金は数値化されてしまうことで、増減に一喜一憂してしまう、という大きな特徴があるように思いました。
同じように、得たいものであるところの「知識」「優しさ」「行動力」といったものは、それが増えた・減ったと大騒ぎすることはありません。
まぁ、知識というものにはテストの点数というのがありますが、これは「数字の魔力」を裏付けるものですね。
動物としての生存競争の本能に、その「力」を数値化されてしまうお金というものの存在は、それに執着してしまうというのは、ある意味仕方がないのかなぁ、と思いました。
だとすると、それを踏まえたうえで、なお、お金に執着しない人がいるという事実はどう考えればいいのでしょう?
また、新たな宿題ができるのです。
◆お金と「きれい・汚い」
「お金を貯めこむことはきたないことだと思っていた」
という意見がありました。
それをきっかけに、「きれいなお金、汚いお金というのがある」
という話題がありました。
「マネー・ロンダリング」なんていう言葉があるように、お金のきれい・きたないは日常的に使われる表現です。
盗みや詐欺など犯罪行為で得たお金は「汚いお金」。でもそれをどう使うか、となると話は別です。
伊坂幸太郎さんの小説で、会社勤めをしているお父さんが殺し屋をやって家族を養っていたというのを思い出してしまいましたが、
そのような犯罪行為ではなくとも、ちょっと倫理的にどうかな?という感覚を仕事で感じることは誰でもあるのではないかと思います。
それを得る手段がどうあれ、貨幣となってしまった時点で、その先のことは関係ないはずなのに、私たちは貯めて、使う時点まで倫理感に縛られてしまうのは面白いところです。
最初の話題に戻って、「お金を貯めこむ人はきたない」というのは、また違う問題かもしれないですが、こちらに関してはどうでしょう?
◆「ふるさと納税」に対する批判に対する疑問
最後に、「ふるさと納税に対して賛否両論あるのはどうして?」
というメンバーのちょっとした疑問に関して、思いのほか盛り上がったので記録しておきます。
ふるさと納税という制度に対する批判というのは、大都市圏の税収が減るとか、お金持ちのほうが得をするとか、ポータルサイトを税金で潤しているとか、制度そのものに対する批判が主です。
でもこのふるさと納税を、自分が活用すること自体に関しては、損をすることはなく得しかない制度なので使えばいいと思うのですが、そうならずに批判する人がいるのはどうしてか?という疑問が残ります。
そこで出てきたのが、「抜け目なく稼ぐ人へのネガティブな反応」というというのがあるのかもしれない、という意見でした。
ふるさと納税は、目の前の範囲で自分は損をすることはないのですが、やり方をよく知らないことでやっていない、という人は多い。
世の中には「知っている人だけが得をする(知らない人が損をする)」ようなことがたくさんあります。
そういうことに敏感で、節約をしている人に対して、「抜け目ない」という表現を使いますが、そこにはポジティブ・ネガティブ両面のニュアンスが存在すると思います。
その背景にあるのは、抜け目なくお金を得たり節約したりできる人への嫉妬心というものもあるのでは、という意見も出てきて、それが、だいぶ前の「お金を貯めこむ人はきたないと思っていた」にもつながってくるようです。
◆終わりです。
今回は「お金」という言葉を取り上げました。
やっぱりお金は、力の数値化であるという側面がある以上、そこに妬みやひがみが生じたり、そこを掘り下げていくと人間の面白さを感じます。
お金に関しては、話し出すときりがない、どんな切り口からも話題が広がるため、2時間でできた話はほんの一部でしたが、哲学カフェは時間が来たら終わりです。
これにて振り返りを終わりたいと思います。
では、また!