主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

「水中の哲学者たち」 永井玲衣 ①

<「なんで?」と問うことは、私とそれとを引き剥がす試み>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

今日は、この本。

 

内容<amazonより>

みなが水中深く潜って共に考える哲学対話。
「もっと普遍的で、美しくて、圧倒的な何か」
それを追い求めて綴る、前のめり哲学エッセイ!

「もっと普遍的で、美しくて、圧倒的な何か」それを追いかけ、海の中での潜水のごとく、ひとつのテーマについて皆が深く考える哲学対話。若き哲学研究者にして、哲学対話のファシリテーターによる、哲学のおもしろさ、不思議さ、世界のわからなさを伝える哲学エッセイ。当たり前のものだった世界が当たり前でなくなる瞬間。そこには哲学の場が立ち上がっている! さあ、あなたも哲学の海へダイブ!

人々と問いに取り組み、考える。哲学はこうやって、わたしたちの生と共にありつづけてきた。借り物の問いではない、わたしの問い。そんな問いをもとに、世界に根ざしながら世界を見つめて考えることを、わたしは手のひらサイズの哲学と呼ぶ。なんだかどうもわかりにくく、今にも消えそうな何かであり、あいまいで、とらえどころがなく、過去と現在を行き来し、うねうねとした意識の流れが、そのままもつれた考えに反映されるような、そして寝ぼけた頭で世界に戻ってくるときのような、そんな哲学だ。(「まえがき」より)

◆この本は

ボリューム:★★★☆☆(普通)

読みやすさ:★★★★☆(読みやすい)

考えたくなる:★★★★★(考えることは楽しい)

話したくなる:★★★★★(対話がしたくなる)

 

「哲学対話」を幅広く実践している筆者の、対話現場での生々しいやり取りが面白すぎます。

哲学っていうのは、賢い人達だけのものではなく、みんなで楽しむものなんだってことが、すごく生き生きと描かれています!

 

◆内容紹介・感想

「哲学対話」とは、あるテーマについて語り合い、人とじっくり考えあうという活動です。

私も当ブログ内で紹介しているように、哲学対話(哲学カフェ)を趣味としていて、現在はこのような社会情勢から集まりにくいので、オンラインで知人と対話を続けています。

 

なので、この本を手に取ったのは必然で、ほかの人がどういう哲学対話を実践しているのか気になって読んでみたら、哲学対話の生の声がとても面白いし、筆者の哲学に対するスタンスに非常に共感できることがありました。

 

いくつかの印象に残った言葉を紹介して、自分の感想とともに書いていきたいと思います。

 

「なんでそう思うんですか?」中学生が発した質問に、それまで持論を展開して満足そうにしていた中年の男性が黙り込んでしまった。

 

「なんで」と問うことは、哲学対話では普通のことで、むしろ「哲学=なんで」と言っても過言ではないぐらいです。この男性が「なんで」と聞かれて黙ってしまったのは、

どこかの書物で読んだり、どこかの有名な方が言ったりしたことを聞いて、その持論は「正しいもの」として固定してしまっていたもので、その理由を改めて考えたことがなかったからだと思います。

 

「なんで」と問うことは、その問題から、わたしを引き剥がす試みだ。ぴったりと寄り添っている漠然とした苦しみをとりあえず目の前に座らせることが出来る。

 

この一節を読んで、哲学対話の醍醐味の1つはここなんじゃないか、と膝を叩いたのでした。

日常生活をしていくうえで、あえて考えないことがたくさんあります、例えばどうして学校や会社に行くのか、とか、電車に乗るとき並ぶのか、とか、着る服の種類とか、もっというと、どうしてひとは死ぬのかとか、そんなことです。

どうして考えないかと言うと、いちいち考えているとやっていられないからです。そうれはそういうものとして進めていかないと、いまの生活が成り立たないからです。

そのような「じぶんにぴったりと寄り添っている」ことに対し、あえて離れた立場から「なんで」と問うてみることで、よく新しいものの見方が生まれるんですね。そこに他者の見方が加わることで、なお一層「引き剥がし」が効果的になります。

 

抽象的になってしまったので、伝わりにくいかもしれませんが、例えば、そうですね、「腕時計をなんでしているのか?」と改めて問うてみた時、すぐ時間が見れないと不便だとかファッションの一部だとかいといろ自論はあるかと思いますが、改めて「時間を見る」ということに着目してみるとスマホでも充分だとかなるし、「腕時計をしない人」の意見を聞いてみたら、なるほどそういう考え方もあったのか!と新しい発見があって、毎日あたりまえに習慣のように着けていた腕時計をしなくなるかもしれません。

 

繰り返しますが、哲学対話は、「なんで」と問うてみることで、そして他人の意見を聞くことで、新たな発見がよくあります。

それ自体が刺激的で、哲学対話の楽しみといえるのではないでしょうか。

 

哲学は、永遠にボケ続ける世界に対するツッコミなのである。「なんでやねん」は理由を問い、「どういうことだよ」は意味を問う。

 

この言葉は私の最も印象に残った言葉です。これについては、また日を改めて書いていきたいと思います。

 

本日は以上になります!

 

では、また!