ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

読書・読書会・哲学・哲学カフェが好きな人間のブログ

主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

オンライン哲学カフェ第47回「視野を広げる」①

<選択肢が増えるということ>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。

今回は、第47回開催になります。

  

前回の哲学カフェ「卒業」の模様はこちら。

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

◆「哲学カフェ」とは?

哲学カフェとは、おもに身近なことがらについてテーマを1つ決め、それについてみんなで自由に意見を出し合う対話の場です。

「哲学」と書いていますが、ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話はほとんどしません。

私たちの哲学カフェで扱っているテーマは、「『普通』ってどういうこと?」だとか、「『自己責任』って結局何なの?」だとか、身近にありながら、答えがなかったり、人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えたりあまりしない話題について、じっくり語り合っています。

そうすることによって、「あたりまえ」だったことに新しい側面を発見し、考え方・生き方に変化が起こることを楽しんでいければいいな、と考えています。

当哲学カフェはいわば「日常生活を哲学する」ことを目指しています。

 

◆今回も「Zoom」を使いました

今回も前回同様、「Zoom」を使用。

「Zoom」とはオンライン会議アプリで、「skype」をイメージしていただくと大体そんな感じで、とても使いやすいテレビ会議アプリです。

 

主催が会議を「○○日の●時~●時」とスケジュール設定すると、「会議ID」が発行され、参加者はPCのZoomホームページやスマホアプリから、その「会議ID」を入力するだけで、アカウントを作る必要も無く、簡単に参加できます。

  

◆この日のテーマは「視野を広げる」

この日の参加者はのべ9名。時間は2時間です。

 

オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、1人ずつしゃべる方式にしています。

しかしながら一部の人しか画像を映していないため、挙手が見えないので、発言したい人は「ハイ○○です。」と言い、進行役が指名するという感じにしています。

(画面を見ていると誰がしゃべったか大体わかるんです)

 

今回は、メンバーの1人が初の進行役に立候補していただき、目新しい展開となりました。私はいつものように書記役で進めていきました。

 

この日のテーマも、メンバーの推薦により選ばれた

 「視野を広げる」

です。

 

社会人になると、「視野を広く持て」なんてよく言われますが、「視野を広げる」っていうのは、一体どういうことなのでしょうか?

なんか大人にとって大切なことのようですが、わかっているようでわかっていないこの言葉について、ちょっとだけ深く考えてみようと思います。

 

では、実際出てきた意見と感想を簡単に書いていきたいと思います。

 

◆「視野を広げる」とは、どういうことなのか?

まずはいつものように、具体的な使い方から考えてみます。「視野の広い人といえば、どんな人をイメージする?」という問いに置き換えてみる方が多かったように思います。

・相手の立場に立って、ものを考えられる

・対立する意見をまとめて、上手く落としどころをつけられる

・自分の意見から、一歩引いて考えられる

・目先の利益より、長期的な利益を優先する

いろんな意見が出てきました。

 

「視野」という単語が表しているように、自分の見えている範囲(自分の持っている知識など)で判断し行動するのではなく、「自分の見えていないところ(他人視点など)を想像することで、多くの判断軸を持つ」ということが、「視野を広げる」ということになりそうです。

 

まず、一番身近なことで、「自分」⇒「他人」への視野の拡大だと感じました。

子どもは後先を考えずに「いまやりたいこと」を主張するように、一番身近で、しかし一番難しい視野の変化でしょう。

そして、「立場」という言葉が使われるような、自分の属しているグループ・属性から、その他のグループの立場に向かって想像するようなシーンが思い浮かびます。

「上は現場のことがわかっていない」というような愚痴から想像できるような、上下関係があるようなときは「視座」ともいわれます。

 

また、自分とも、他人とも違う「俯瞰した視点」という意見もありました。高いところから見る、一歩引いてみる、という感覚ですね。

世阿弥の「離見の見」という言葉を思い出します。

 

そして、もうひとつ思い浮かぶ「視野の広がり」が、「時間的な視野の広がり」になります。

時間的な視野とは、「将来の健康のためにタバコをやめる」というように、現在の快楽を将来の苦痛を想像し比較することができるようになることかと思います。

未来の金メダルのために、学生らしい遊びは何ひとつしてこなかったというような、現在の我慢は、将来の自分を視野に置いていると言えそうですね。

 

視野を広げるということは、選択肢を増やすこと、という意見がありましたが、しっくりきそうな感じを得ました。

 

◆「視野を広げる」ということは、いいことなの?

おおむねポジティブに使われることが多い、「視野が広い人」という表現。

逆に「あなたは視野が狭い」と言われることは、ほとんど批判されている時に使われるように思います。

 

そこで、「視野が広がること」によって起こる、ポジティブな面とネガティブな面があるのか、というような話題になりました。

 

対立する意見をまとめて進めることができる人などの、仕事において有利に進めることができる、というのはありそうです。

また、健康維持などの長期的な利益を得ることができる、ということもありそうです。

 

しかしここで、「視野を広げる」ということと、「視野を広げたうえで選択し行動する」ということは別物ではないのか?

という意見がありました。

 

視野を広げるということは、別の視点から生まれてくる、別の選択肢を検討できるということですが、常に長期的な利益を優先するということではなく、短期的利益を優先してもいいし、他人の気持ちを想像したうえでそれでも自分の主張を突っ張ってもいいはずです。

視野を広げることで、「いま」の「自分」の行動が、つねに「未来」や「他人」に規定されてしまってばかりになる、ということにはならないはずです。

 

そう考えると、「視野を広げる」ということは、行動の前提となる判断材料を増やすということで、確かにデメリットは少なく良いことばかりのような気がします。

 

◆まだ続きます。

「視野を広げるとはどういうことなのか?」から、「視野を広げることが良いこととされているのはどうしてなのか?」というところに広がっていったところですが、哲学カフェはまだ続きます。

長くなってきましたので、続きは日を改めて書いていきたいと思います。

 

では、また! 

 

 

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